455 :名無しさん@おーぷん
毒かもしれないし普通なのかもしれない母と父の話
父の話は、母から聞かされたものなので伝聞多いし、母目線入ってる。

母は3人兄妹末っ子。東京生まれ東京育ち。
美術短大。学生運動でちゃんとは卒業できなかったが、ともかく一流企業に受かって少しデザインもしていた。

父は2人兄妹の長男。関西生まれ関西育ち。
電子系の学校を卒業後、東京の母と同じ会社に就職した。
二人は会社の部活で出会った。
母は、父が部のリーダーシップ取ってる所が「頼りになって優しい」んで惹かれたんだ。
父が母を気にいったのは、怪我したときずっと側にいたからかなって言ってた。

母はぼんやり横浜あたりに家庭が持てたらいいな、なんて考えてた。
だけど、父からプロポーズと共に「関西に戻る」「妹は障害を持ってる」と初めて聞いた。
今まで考えたことなかった選択肢に、障害持ちの家族にヒビった。
けど、ここで断ったら女が廃ると父と一緒になることを決めた。
456 :名無しさん@おーぷん
結婚して関西に来た二人は、父の実家から車で30分ほどでいけるマンションを買い暮らし始めた。
父は関西に来るのに前の職を辞め教師となり、母は専業主婦となった。
この辺りで私、弟誕生。
マンション生活で周りも子育て世帯が多く、父も優しく上手くやっていた。

変わったのは父の実家が火事で燃え、同居することになってからだった。
火事で妹は天に召されたがほぼ寝たきりの祖々母がおり、父方の祖父は既にいなかった。
一人になる父方の祖母を父は心配したのだろうか。家を建て替え、同居が始まった。

家は田舎。庭があり、畑があり、田んぼがあった。家もマンションとは比べ物にならないくらい広い。
当然母の仕事は増えた。
床擦れと黒くこびり付いた耳垢を見かねて、祖々母の世話も見るようになった。
子供たちは大きな方で3歳、まだまだ手がかかった。そしてまた子供ができた。

そうした疲れが溜まったのだろう。母は倒れた。脳に障害が残ったほどの容体。
この病院に、子供たちが見舞いにこなかったことに悲しんだ。美術を専門に学んだその手が思うように動かないのも哀しかった。
リハビリを行なったが、今までも右手は疲れたりすると思うように動かせない。

この辺りから父と母はずれ始めたのだろうか?
母が父を拒否し始めたのは、3人目を産んだあと流産した母に父が手を出したかららしい。

父は手を差し伸べて抱きしめて慰めたかっただけかも知れない。
だけど母には、こんなに苦しい哀しいのに又そういう思いをする行為を求めたと感じた。拒否感しかなかった。

父も母の拒否を感じてたのかな。 拒否する母を拒否してしまう。
元々理系だったのもあるかも知れないけど、母の意見にNOを先ず言ってしまう。それでも外からみたら「仲がいい夫婦」なんだそうな。

全部愚痴から聞き出した内容で、いつぐらいから愚痴聞いてたのか覚えてない。でも、ずっと聞いてた印象。
最初は聞くだけだった。
だんだん細く不満を聞いて解決案だしたり、結婚当初を思い出すエピソード聞いたりした。
そうすることで、子は鎹って言葉通り家庭平和を保ってるつもりだった。

母の愚痴が私にきたのは、父の実家に来て母の交友関係が全部変わったからだと思う。
マンションだった時は互いに初めての土地だったから違和感なかったし、お互いの気持ちが近かったんじゃないかな。
父にとっては地元で実家で安心だったんだろうけど、母には初めての土地って所を過小評価したんだろう。

仕事変わって忙しかったのもあるかもしれないけど、母に父が「ありがとう」「助かるよ」的なこと言ってるの見た記憶がない。
いつのまにか、いて普通やって普通になったのか、もしくは父にとっても母は「妻」ではなく「お母さん」になってしまっていると思う。
457 :名無しさん@おーぷん
ごめん、長かったね。

好きだったはずなのに、何故今お互いに否定しあってるのかな
怒鳴りあい殴り合わなくても、そういうの伝わってくるんだ。

でももうほっておくよ。
私はもっと早くにそうすべきだったのかもしれない。
だって2人で解決する話だから。

ここまで読んでくれてありがとう。
これから家庭持つ人、もう持ってる人、お互いの素敵な所口に出して伝え続けてください。
引用元:http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/live/1425271790/
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