感動

    285 :鬼女日記 2015/12/09(水) 13:11:54 ID:aATFW6As.net
    この前、久しぶりに実家に兄弟姉妹が集まった。皆独立しているが
    子供がいるのは兄ちゃんところだけ。両親(ジジババ)と3人の叔父叔母が
    兄の一人娘(4歳)を可愛がっていたら、姪が唐突に「じじとばばはいつタヒぬの?」と
    真顔で聞いた。義姉が慌てて「こら!何てこと言うの!」とたしなめたが
    両親はニコニコと「子供の言うことだから大丈夫よ」と義姉を制し、姪に向かって
    「そうね、おじいちゃんもおばあちゃんも歳だから、そろそろタヒんじゃうかもね」と言った。
    義姉が「そんなことないですよ、お義父さん、お義母さん、変なこと言わないで」と言いかけたら
    いきなり姪が泣き出した。母が「ほら○○ちゃん(義姉)が強く叱るから」などと言い、
    父は「どこか痛いのかい?」などとオロオロしてると、「・・・やだー!!じじもばばもタヒんだら
    いやだー!!!○○ちゃん、いいこにするから、ずっと生きててーー!!!」と号泣。
    聞けば幼稚園のお友達のおばあちゃんが先日亡くなったそうで、ずっと「じじもばばはずっと
    元気だよね」と兄や義姉に聞いていたとか。それからしばらく両親も泣いていた。

    320 :鬼女日記 2015/12/24(木) 21:48:14 .net
    俺「1年の俺です、よろしくお願いします」
    嫁「3年の嫁子です、よろしく」

    が初めての会話だったはずなにの、実家に連れて行ったら実際は

    俺「ヾ(´∀`*)ノだー、だーヾ(´∀`*)ノ」
    嫁「・・・俺ちゃん?こんにちわ」

    が初めての会話だったと判明した。

    434 :鬼女日記 2016/12/26(月) 15:02:25 ID:o0j
    旦那は喜怒哀楽の「怒」がほとんどない。
    「俺だって怒るよ~」とは言ってるけど、怒っているところを一度も見たことない。
    割と短気だった私も、旦那といると心が穏やかになるみたいで、
    些細なことでイライラすることがなくなった。

    更に衝撃的なのが義両親。いつも朗らかでにこにことしていらっしゃる。
    私たち夫婦がやることを見守り、壁にぶつかりそうになった時にはそっと手を差し出してくれるようなイメージ。
    旦那曰く、義母さんには怒られたことはあれど、義父さんが怒っているところを一度も見たことがないらしい。

    母親がヒステリー気味、父は無口で無関心、年の近い妹とは毎日喧嘩ばかりで、母の怒鳴る声が絶えなかった。
    それが当たり前なんだと思っていたから、こういう穏やかな人が存在しているということは衝撃的だった。
    いい人たちだから、大切にしたいと思ってる。

    うまく書けなくてごめんなさい。
    リアルだと義実家とギスギスしている人が多く「家庭円満自慢?」って言われそうで、
    ここで吐き出させてもらいました

    93 :鬼女日記 2013/09/19(木) 13:08:33 ID:QLrye1gK
    パートタイム勤務でも、海外研修連れて行ってもらったこと。
    ある日、店長が「○○さん、アメリカ行かない?」って言って来て
    「はあぁぁぁ!?」(←本当にこう答えた)と衝撃を受けた。

    移動は全てチャーターバス、宿泊先はマ○オットやヒルト○など
    私ですら聞いたことのある名前のホテルばかり。

    研修だから、ひたすらスーパーマーケット巡りなんだけど
    それでも楽しかった。

    個人では、とても出来ない貴重な体験なので、行けるものならまた行きたい。

    684 :鬼女日記 2017/01/16(月) 19:38:04 ID:6eZ
    娘が2歳のとき、街中で暴漢に襲われたことがある
    相手は知的な障害のある人だったんだけど、ふいに何かがスイッチになってパニックになったらしくて
    周りにたくさん人がいる中で、私の娘を標的に定めて襲ってきた
    とっさに娘を抱え込んで亀みたいな体勢になるのが精一杯だった
    結果的に私は肋骨と骨盤を骨折して内臓が一部破裂したけど、娘は服が汚れただけで済んだ
    精神的な傷が怖くてずっと経過を観察してきたけど、特に記憶にも残らなかったみたいで
    トラウマめいたこともなく、無事に成人してくれた

    それから20数年たって、娘が嫁いでいくことになった
    結婚前にお婿さんがうちに来て、お酒を飲みながら皆で娘の小さい頃の話なんかしてたんだけど
    娘が「小さい頃、お母さんに襲われたことがあったよね」って言い出してええってなった
    話を整理すると、
    ・デパートの前で大きなぬいぐるみを見てたらいきなりお母さんが抱きついてきた
    ・苦しくて離してって叫んでたのに離してくれなくてすごく怖かった
    ・お母さんの顔がすごく険しくて、かっと見開いた目が怖かった
    娘の見た光景は、確かに暴漢に襲われたときのものと一致してた

    これまで娘の傷を刺激してはいけないと思って当時のことは話したことがなかったんだけど
    まさかそういうふうに記憶していたとはorz
    真相を話したら驚いてたよw
    そのあと披露宴で、母への手紙でその話に触れて
    「私に子供ができたら、きっとお母さんみたいに命がけで子供を守れるような母親になります」
    って言ってくれて泣けたw

    すごく痛い思いをしたけど、今じゃ笑い話にできてよかった

    254 :鬼女日記 2017/07/24(月) 01:47:08 ID:NR2
    アラブ人がおっそろしいレディーファーストだったこと。

    十数年前、旅行先のホテルになぜかアラブ人が結構な数宿泊してた。
    正確にはアラブ人じゃないかもしれないけど、女性がアバーヤ(黒マント)来てる人たちだった。

    たくさんの荷物を一人で抱えたまま、エレベーターのボタンを押してT手ぶらの女性を乗せて、降ろして、ドアを開けて・・・とすっごいレディーファーストの男性たち。
    女性も違和感なく スルッ スルッ と開けてもらったドアから部屋に滑り込む。
    レストランもプールバーも男性が椅子引いて女性が ストン と座って、男性が女性にメニュー見せてウェイターにオーダーしてる。

    女主人と召使かと思っていたら、その男性も一緒に食べ始めて、さらにビデオで女性を撮影したり、談笑したりしてる。
    召使と仲良しなのか???
    と思っていたがどうやらあれは夫婦のようだ。
    観察してると、アラブ人だちはどこもそんな感じで男が取り仕切って女がそれに乗っかている。
    エレベーターの乗り降りも、レストランのドアもオーダーもウェイターに何か頼むのも、すべて男性の役割。

    それってまるまる私が普段夫にしてやってることじゃないか!!

    手ぶらで私の後ろをのそのそついてきて、爪楊枝でシーハーしながらボケッと突っ立って、大荷物持ってる私がボタン押すの待って、
    エレベーターが来たら真っ先に乗り込んで相変わらずシーハー。
    ドアが開けば真っ先に降りて、レストランじゃ欲しいものも苦情も全部私にぶちまけて、
    ウェイターに言うのは私。
    食べたらさっさと席を立って、支払いの手間もチップの計算もみんな私一人。
    夫婦ってこんなもんだと思ってたけど、アラブは男女逆転なんだね。

    205 :鬼女日記 2010/08/24(火) 20:00:52 0
    コトメ子(義妹の娘と息子)を引き取って育てたんだけど、
    「実子と差別してる」「継子イビリの酷い女」と散々噂ばらまいたトメに、
    娘が親戚と、ご近所さんたちが集まった法事で、皆の前で
    「私お母さん大好き、コトメママは知らない。
    お母さんが大好きだから私いい子になる。
    私産んだママに育てられたら酷い事になってたと思う、
    お母さんの悪口言うお婆ちゃんは嫌い」。
    義妹の元夫も
    「くだらない噂流したら出る所に出る。法的に裁かれてタヒぬような目に会いたいか」と言った。
    知らなかったけど、トメは私が義妹元夫に色目使ってるって言ってたそうだ。
    そこから親戚も、もちろんトメとも没交渉になった。
    浮気して逃げた元妻の父の法事に出てくれる様ないい人だったのにね。
    一人になったトメは子供達に金の無心をするようになる、
    というか「お婆ちゃんかわいそうでしょ」って連絡をする。
    娘「私に言われても分かんない、お父さん(私の夫)もパパ(実父)も
    お婆ちゃん嫌いだってさ」
    子供達が泣いてママと話したがっていた時にも、誰も連絡先を知らなかったはずのコトメは
    娘が大学進学する時になって連絡をしてきて
    「実はずっとトメと連絡はしてた」と言ってきた。
    そして進学のお祝いさせてくれ、一緒に住もうと。
    「本当の母親はお母さん(私)だから、別にあんたに会いたいとか思わないし。」
    「この人が俺を産んだ人なんだ。でも俺はお母さんが好きだから、
    今更他人と住めって言われてもね」
    言葉はきついけど、本気で嬉しかった。
    去年の秋、娘が結婚したけどその時私を実母として手紙読んでくれた。
    息子は一昨年大学を出た。
    実子の息子も同じ大学に受かった。
    「兄貴の事知ってる人が居て恥ずかしい」と言いつつ嬉しそうだった。
    もう今タヒんでもいいやって位幸せです。

    173 :名無しさん@お腹いっぱい。 2016/03/12(土) 13:24:20.70 .net
    昨日とうとう還暦を迎えた。
    娘(26)は俺の好きなビールの6缶入りパック(普段飲んでるのは発泡酒)と、
    手編みの赤いネックウォーマーをプレゼントしてくれた。
    収入が障害基礎年金しかない娘にはビール6缶の値段も高額だったろうし、
    ネックウォーマーはここ一月くらい家でもデイケアでもひたすら編んでいたと嫁から聞いた。
    普通に座っていることも辛い娘は、家ではベットにうつぶせて編んでいたという。
    娘からプレゼントを受け取った時は笑顔で喜んだけど、
    娘が寝た後嫁にその話を聞いて号泣してしまった。俺の娘可愛いを通り越して尊い。
    こんな優しい子がなんで20代の花の盛りを病院とデイケアで過ごさなければならないのか…

    794 :名無しさん@おーぷん
    姉は両親の顔のパーツで福笑いでもしたの?と言っても過言では無いブス。
    小さい頃から周りにからかわれていたが、同居の父方祖母の「いつか中身を見てくれる男が現れる。だから中身を磨け」という教育方針の下、適度に厳しく育てられた。
    姉は顔パーツのバランスは残念なままたが、幸い歯並びやニキビなどの美容形成に頼らなくとも済む部分に関しては問題なく、料理を始めとした家事や教養などは身内から見ても完璧と言える女性に成長した。
    姉が旦那さん(以下義兄)と出会ったのは大学の食堂。姉の魚の食べ方の綺麗さに義兄が興味を持ち、そこから話をするようになったそう。
    義兄曰わく、世間話一つとっても育ちの良さが伝わってきたらしくどんどん惹かれていったんだとか。
    大学卒業を控え、義兄が我が家に姉と交際している件と結婚も視野に入れている話をした。
    両親と祖母はその場では手放しで喜ぶような真似はしなかった。が、その日の夜祖母と母は泣きながら「自分たちの育て方は間違っていなかった。あの子の努力が実を結んで良かった」
    と話していたのは10年近く経った今でも良く覚えている。
    なんでこんな話を書いたかというと、最近コミックサイトので整形した女性が子どもを産んだら昔の自分そっくりのブスだった。みたいなマンガを見かけたので。
    マンガそのものは読んでいないが、もし姉も安易に整形などに頼っていたら今の人生は歩めていなかったんだろうなぁ。と思ったので。

    244 :名無しさん@おーぷん
    去年の今頃、飼っていた猫を亡くして傷心のまま一人旅してたら
    胃を悪くしていたせいで吐いた上に、貧血で倒れそうになった
    通りすがりの観光中のカップルにホテルまで連れて行ってもらい
    ハンカチで顔をふいてもらった
    ハンカチを返したいし、お礼もしたいから連絡先を教えて欲しいといったが固辞された

    先週、その観光地をまた一人旅していたら、迷子が泣いていたので
    たまたま持っていたあのときのハンカチで顔をふいてあげて
    近くの交番に連れて行った
    しばらくして親がきて大変感謝された
    お礼をしたいので連絡先を〜と言われたけど、それは辞退してすぐに別れた

    親御さんと少しだけ話したんだけど、つい先月猫を亡くしたばかりらしく
    その観光地にある有名な神社に、猫のためにお参りに来ていたらしい
    自分が去年その観光地に行ったのも、その子と同じ目的だったので
    なんだか縁というか運命めいたものを感じてしまったよ

    お子さんが気に入ったみたいなので、ハンカチはそのまま渡してきた
    うさんくさく思われるかもしれないと思ったので、ハンカチの由来は黙っといた

    694 :名無しさん@おーぷん
    どこの板に書いたらいいか分からなかったので投下失礼します。
    長いので苦手な方は飛ばしてくださいm(_ _)m

    私がまだ社会人になりたてだった数年前。
    会社は家から近かったものの一人暮らしをしたかった私は実家から近距離一人暮らししていました。

    当時はお金もなかったので会社には毎日お弁当を持って行っていて、
    毎日作るのも面倒くさいので週末にまとめて作る→冷凍。
    まとめ作りにはアパートのキッチンは狭すぎたので実家で料理していました。
    (ガス代などのお礼としては風呂掃除や重い買い物に車を出すなど)

    作ったあとすぐには小分け・冷凍できないので大皿で机に置いておくと、
    土日は仕事の父親が帰ってきたら毎回つまみぐい。
    目を離した隙に3分の一くらい食べる。少ない給料でやりくりしていたので怒る私。
    これはお弁当用、と言っても何回も食べられたので、とうとう
    「目に見えたもの全部食べるなんてル○バか!」と怒鳴り、
    それ以降つまみ食いはなくなりました。

    ある日同じように煮物を大量製作したところ失敗…。
    まさかの醤油とソースを間違えるという典型的ミスをして当然ゲロマズ。
    母親には「バカね〜」と爆笑されたものの、材料費はもったいないし
    毒ではないから…と我慢して食べようと放置。

    少し昼寝して起きてみるとその煮物がからっぽ。そして置いてあるメモに
    「お腹がすきすぎて食べました。ごめん。ル○バより」と。

    そして母親から「これお父さんからお詫びにって」と、
    私の大好きな近所の肉屋さんのコロッケが大量に渡されました。
    「私の作るごはんは健康的すぎなんですってよ。
    あんたのご飯はがっつり目でうまいからつい食べちゃうって言ってたよ。
    んで、今日は失敗して○○(私)が落ち込んでたって言ったらこの有様。
    ほんと娘には甘い」とも。
    (ちなみに母親はメシウマですが、野菜多めで揚げ物は嫌い。健康的)

    私の前では褒めたりはせずに「腹減ってたから」しか言わなかったお父さん。
    昔から「目玉焼きにはしょう油だろ!」とソースがあまり好きじゃないお父さん。
    どんな思いで失敗作のソース味煮物を食べてくれたんだろうと思って
    ごめんねありがとうと号泣

    それ以降はお弁当を作る日の夜ご飯も私が作ることにしました。
    先日お父さんが還暦を迎えて、年に数回しかない大好物揚げ物パーティーをしたので記念カキコ。

    549 :名無しさん@お腹いっぱい。 2017/04/28(金) 18:39:18.60 ID:N24FpkqE0.net
    嫁と出会ったのは小学校3年の時
    俺が一目惚れした
    中学校に上がって中二でやっと嫁と同じクラスになり
    そこで初めて嫁と会話ができるようになった
    クラスの中で嫁を含め男2人女4人の仲良しグループになったが
    3年に進級するとき嫁は親の転勤で他県に引越し
    高校になっても女子は連絡とっていたらしいが俺と親友正則♂は仲良し女子と疎遠になっていった
    高校卒業し俺は他県に就職し4年でUターン(地元に転勤)
    23歳で営業所の主任(会社最年少)に昇格し毎日が午前様
    26歳で営業所の所長に昇格(課長待遇)になり営業所の方針で
    効率よく仕事をこなすやり方でできるだけ残業抑えて定時内で帰宅できるように改善していった
    28歳になり社内売上一位と最大のコスト削減で表彰され課長から次長に昇格した
    気づけば恋人も作らず会社のために突っ走てて周りから見合いなど進められていた
    そんな時に正則から同窓会の誘いがあった
    久しぶりにあった同級生はみんな大人になりそれぞれの生活を築いていた

    そこに15年ぶりに嫁と再会した
    嫁は高校卒業とともに地元の大学に進学していて戻ってきていた
    聞けば俺の会社の下請けで働いていた
    それから同窓会で盛り上がり2次会で2人で抜け出し嫁から告白された
    嫁はずっと俺のことが好きだったらしい
    まさかの両思いで俺もテンションが上がり気が付けば嫁の部屋に転がり込んでいた
    そこで初めて嫁と結ばれた。恥ずかしながらお互い初めて同士だった

    嫁は15年想い続けてやっと結ばれたと号泣
    俺は改めて結婚を前提に交際を申し込んだら嫁は過呼吸になりカオスと化したw

    再開から1年で結婚した
    子供も3人生まれた。子供たちは俺と嫁が出会った小学校に通っている
    小学校の卒業記念に制作した木彫りの自画像が飾ってあるんだが
    子供が言うには嫁の木彫りの裏に俺との相合傘を彫っているらしい

    その子供たちも嫁いでいった

    54歳で嫁が癌で先立った
    嫁の最後の言葉は
    「幸せでした」
    苦しかったろうに、それでも最後の言葉を振り絞った嫁に「俺のほうこそ幸せだった。ありがとう」と笑顔で見送った

    今でも小学校の木彫りを見に行っては嫁を思い出している

    陽子愛している。もうすぐお前のそばに行くよ

    922 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2017/03/25(土) 15:36:45.47 ID:1vt8MRgl.net
    俺の修羅場書いてもいい?
    じゃ書く
    長いので小分け

    今となれば笑えるけど、当時はみんなそれぞれ悩んだ家族の修羅場

    産みの母は、俺を生んでタヒんだ。
    心臓周りの血管に元々持病があったらしい。だから、俺は産みの母を知らない。
    産みの母がタヒんで、俺を育てるのに必タヒだった親父をすぐに助けたのが、二つ下で父の幼なじみだった養母(以後母と)
    ちょうど、母にも子供(姉貴)がいて、丁度いいからと面倒を見てくれた。そっちの父とは離婚したそうだ。理由は知らん。教えてくれない。
    そこで色々あって、俺が3つの時に再婚、四人家族になった。まあ、父方の祖父母曰く、収まるところに収まったんじゃろ、とのこと。(別に産みの母を嫌っている訳では無い。むしろ褒めていた。)
    ところが、小4の時に、親父がタヒんだ。
    心臓だった。めちゃくちゃ朝早いはずの親父が朝起きて来なくて、そのまま冷たくなってた。
    俺も、姉貴も、タヒぬほど泣いた。

    両親の祖父母の手助けで生きていたが、中学2年の時に、母が再婚した。同じように嫁さんを病気で無くした、近くの大きな鉄工所のオーナーだった。親父と、そんなに年変わんないんだ。
    そこにも、弟と妹がいた。というか、姉貴→妹繋がりで知り合って、再婚、となった。

    ここでまず、俺の脳内修羅場発生。
    「血が繋がった人がいなくなった。」

    この修羅場が表に出たのが、俺の大学受験のとき。
    父の意向で高校、大学、院までぶっ続けで行ける技術系の学園にいたんだけど、ある日父に
    「お前、大学どうする?受験?エスカレーター?」
    って言われて
    「受験はしません。エスカレーターもしません。就職して、家を出ます。これ以上、迷惑はかけられません。俺は、あなた方と血が繋がってないんです」
    って返した。返してしまった。
    自分でも、やっちまったな、とは思ったわ。でも、しょうがないじゃん。技術系の大学の学費、私立たけーんだって。年間、基本で150行くんだぞ。追加で色々発生するし。で、弟妹もいるしな。
    無論、タヒんだ父母の保険金や、既に亡くなってる父方祖母の保険金やらで俺ひとりでも賄えない事は無い。盛大にお釣りが来る。でも、多分、親父はそれを使うことを許さない、そういう人だ。分かってたから、そう言った。家を出ますってね。ぶった斬るならここしかない、って。

    244 :名無しの心子知らず@無断\(^o^)/ 2015/07/28(火) 17:11:02.18 ID:pxv67ZyX.net
    2歳4ヶ月の上の子。
    私が高熱出してしまって、上の子の朝食に食パン一枚引っ張り出すのが精一杯だった時に「お母さん半分こしよ、元気になーれ!」って言って布団まで持ってきてくれて涙出た。
    何も塗ってない、焼いてすらない食パンなのに「美味しいよね!」とニコニコ食べてくれて、本当に申し訳なかった。
    5ヶ月の下の子のことも上の子なりに凄く可愛がってくれるし、二人とも凄く可愛いよ。

    824 :名無しさん@おーぷん
    俺と嫁は子どもの頃同じ施設にいた
    施設に来る前は、二人とも親からもう少しでタヒんでたくらいの虐待を受けてた
    高卒で就職して二十歳で結婚したが
    家族というものがよく分からなくていつも不安だった
    ある時嫁が妊娠して不安はピークになった
    嫁は虐待の影響でほとんど生理がなくて子どもはできないと思っていた
    それが突然の妊娠で嫁も俺もほとんどパニックになった
    まともな親になんかなれるわけがない、きっと子供を杀殳してしまうと思った
    俺は怖くて最低だがおろしてほしいと嫁に言った
    嫁も怖がっていてそうするしかないよねと言った
    でも嫁は迷っているようだった
    そんな嫁を見ていたら俺もどうして大好きな嫁との間にできた命を消さなきゃならないんだろうと迷いが出てきた
    でも絶対に不幸にする、ひどいことをしてしまう、親と同じになってしまう
    そればかりぐるぐる考えていた
    結論がでないうちに嫁が倒れて病院に運ばれた、切迫流産だった
    俺の会社の社長が病院に来てくれて
    俺は思わず社長に打ち明けた
    自分たちが親になれる人間ではないこと
    でもおろす決断もできないこと
    そしたら社長は、自分が見張ってて親としてもう駄目だと思ったらすぐに子供を引き取って責任をもって育てると言ってくれた
    例えば俺たちが子供を虐待したり、親として失格だったりしたら
    子供を杀殳したりひどい目にあわせたりする前に子供を守ってくれると言った
    言葉だけじゃなくて、社長の奥さんにもちゃんと話してくれた

    963 :名無しさん@おーぷん
    埋めついでに俺の鉄板ネタを書こう。
    俺は昔サンフランシスコで学生やってた。ホテルに住み込みで朝晩の厨房の手伝いをすると一月の家賃が300ドル位になってお得だった。

    そしてアメリカンなビュッフェスタイルで大量生産するもんだからそこでは大量に毎日残飯が発生する。

    それを俺は使い捨てのパックにこっそり詰めて物乞いのおっさんにくれてやってた。
    周りは留学生ばっかでネイティブの話し相手が欲しかっただけ。元金融会社でアボーンした男で当時40前半。名前はアビー。

    で、ある晩、日本人仲間の送別会でしこたま飲んだ俺は酔っ払い千鳥足でホテルに戻ろうとしたところ白人のヒゲづらおっさん二人に羽交い締めにされ殴られ蹴られ俺虫の息で身ぐるみ全部剥がされガチで車と車の間に捨てられてたらしい。
    歯は前四本折れ肋骨はヒビ、鼻も折られておいわさん状態、太ももは刃物で刺され貫通。手の指は全部逆に折られた。
    犯人は捕まらずキャッシュカードの番号を聞きだそうと拷問されたんじゃないかと警察は言ってた。

    約半年入院、ビザの関係もあったし流石に帰国することにした。アメリカ恐すぎwww
    最後に仲良かった人たちに別れを告げアビーには何で怪我したかなどは言わずにジャックインザボックスというバーガー屋で最後は一緒に飯食った。
    「お前は良い奴だから良いこと有るよ。グッドラック」と言われたのは忘れられない。

    それから12年後の一昨年、俺はとある機械部品の売り込みのため出張でサンフランシスコを経由することになった。
    流石に俺はぶるっちまってたけどアビーに会えるんじゃないかと期待してた。

    がサンフランシスコは浮浪者が溢れているからそんな上手いこと見つかるわけもなく、しゃーねーなと思い翌日上司と近くの町サニーベールに向かい取引先に行った。

    で、担当者と会ったときお互いに「あれ?」と不思議な表情になってたと思う。ポカーンみたいな。
    上司も俺と担当者の空気を不思議に思って「もしかして知り合い?君、昔サンフランシスコに居たんだよね?」と言ったのがきっかけで思わず
    俺「アビー?」
    と聞くと
    担当者「オーマイガーオーマイガーオーマイガー!」
    と泣きだし抱き着いてきた。

    アビー「やはりお前だったか!オーマイガーオーマイガーオーマイガー!タヒにそうだったお前を見たとき俺は俺は俺は俺は!お前だけだった、俺をあの時人として扱ってくれたのは!お前が居なくなってまた一人ぼっちになってこのままじゃいけないと思って俺はここまで頑張ってきたんだ!」

    なんか二人で号泣して上司はポカーンとしてたw

    アビーは当時は何も言わなかったがぼろ雑巾の俺を見つけ救急車呼んでくれた人だった。病院でも警察でも把握してなくて誰が呼んでくれたのかは謎だったがその時真実がやっと解ったんだ。思わず「アイラーーービューーー!」と叫んでしまった。
    もう商談どころの騒ぎじゃなかった。

    そのあとは家に上司とともに招待され奥さんと奥さんの連れ子の娘さんに大歓迎された。その後も半年周期で出張で会って交流してる。

    奥さんの連れ子が超可愛い短大生で「アビー、嫁にくれwww」と言ったら「おおお、俺は良いと思うぞ!」と娘に無断でメール教えてくれたw
    始めは娘さんは彼氏居るからなーと乗り気じゃなかったけど今は別れて彼氏居ないらしい。
    今度の夏に親子で日本に遊びに来ることになったので落としたると気合い入れてる。
    アビーは俺のことを誰かに紹介するとき「俺の息子だ!」と紹介してくれる。
    実の父は顔も知らないから娘さんのことは抜きにしてもアビーは俺の父親だと思ってる。

    というおっさんと俺の愛の思い出話。


    625 :名無しさん@HOME 2016/02/15(月) 01:33:46.70 0.net
    今日のトメ。
    本棚の掃除をしていたら懐しい成人式のアルバムを発見。
    トメさんに見せたら懐しいねーってよくとってあったねって。

    捨てられるわけないじゃないですか。
    実母が毒で学費も成人式の写真もお金を出さなかったから撮れないと諦めていたのを一年遅れでしかもお金まで出して撮らせてくれた大切なアルバムを。
    もっと甘えていいんだよ、辛かったら泣いていいんだよって。
    まだ彼女でしかも居候の分際でそこまでしてくれたのはトメさんだけです。
    何も出来なかった私に家事すべて教えてくれてありがとう。
    たくさん感謝してます。
    子供はまだ出来そうにありませんが早く見せてあげたいんです。
    旦那以上に大切なんです。
    まだまだ恩は返しますからまだ長生きしてください。

    なんてこと直接言えないんでここにひっそり書き逃げしていきます。

    373 :名無しさん@おーぷん
    私が帝王切開が長女を産んだ時の話。
    医者から自然分娩が難しく、帝王切開になると説明された時に私の両親から「お前はマトモに子どもも産めないのか」「どうせ産まれてもマトモに育たない」などと罵倒された。
    挙げ句、夫両親にも「うちの娘が出来損ないなせいでそちらにご迷惑を〜〜」みたいな電話をし、両家交えて話し合いをする事に。
    夫両親は最初黙って私両親の話を聞き、一段落着いた所で夫に「お前マトモじゃないんだってさ」と一言。
    姑さん、実は夫を帝王切開で産んでいた。

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