鬼女日記 -鬼女・修羅場・キチママ系まとめ-

当ブログは主に既婚女性・男性板、 生活板、家庭板などから管理人が気になった話をまとめたサイトです。

    感動

    723 :鬼女日記 2017/01/05(木) 10:22:55 ID:FHqxRy+s0.net
    俺の親父は不イ侖した母親に「今までありがとうな。あとは好きな所で好きな人と生きろ」って札束いくつか渡してスパッと別れた。俺はその時中学生だったけど親父かっこいいなと思った。

    別れた後も親父は母親の悪口を言わなかったし俺が言うのも許さなかった。俺が大学に入った頃に一回り下の美人と再婚して歳の離れた弟ができた。
    母親も美人だったから「親父って面食いだよな、このス㋘ベ」って言ったらゲンコツくらったw

    母親は不イ侖相手とはすぐ別れたらしい。しばらく一人で暮らしてたけど親父の再婚後に全部知ってる職場の同僚と再婚してそれなりに幸せに暮らしてるみたいだ。

    親父達が別れたあとも俺は母親に会うように親父に言われた。反発したり色々あったけど今ではいい関係だと思う。

    俺が就職したお祝いで母親と飲んだ時に酔っ払って
    「私はバカな事をして〇〇さん(親父)の妻ではいられなくなったけど、あんたの母親でいさせてくれた。おかげで自分を立て直してちゃんと生きる事ができた。感謝してもしきれない。あんたも〇〇さんみたいに強くて大きなイイ男になれよ」
    って泣きながら笑ってた。


    正月は親父達が移住した沖縄で過ごしてて何となく思い出したので書いてみました。長文すんません。
    ここのノリとは違う気もするけど正月ボケなのでカンベンしてw

    846 :鬼女日記 2014/01/23(木) 13:14:46 ID:oru1cPY+
    私にとっての元彼の武勇伝。

    社内恋愛してた元彼は身長180体重96のガチムチなんだけど優しい・・というより気が弱かった。
    ずーっとイジメられっ子だったらしく、対策として体を鍛えまくったんだけど
    「体は強くなってもヘタレは治らない」と本人が言っていた。

    3.11の時、私は銀行に行ってて、その帰り道で被災した。
    地震が一度落ち着いた所で会社に向かい、事務所に着いた時に津波に襲われた。
    デスクが流されて私を取り囲み、パニックになって悲鳴をあげて居たら元彼登場!
    私を肩に担いで会社の屋上まで避難してくれた。

    903 :鬼女日記 2014/01/24(金) 15:43:38 ID:wB4FIHZg
    高校の頃、不良っぽいクラスメイトにダサイ服装をからかわれていたら
    同じく見た目は不良っぽいクラスメイトが「てめーらうぜえんだよ」と
    一喝してくれた

    制服で部活の大会に出場するのでスカートを短くするのはもちろん
    髪型をいじることも許されていなかったので面倒だ、と
    友達に愚痴をこぼしていたのを聞いていたらしく
    「コイツ大変なんだぞ、おめーらとは違うんだ」と言ってくれた
    最初にからかってきたクラスメイトも「そんな大変なのか」と興味を持ってくれて、
    根は悪い人達じゃなかったらしく仲良くなった

    それから一喝してくれた彼の家が料理店を営んでいて
    いずれは調理師免許を取って店を継ぐつもりだということも聞いた
    「高1のうちからそんな事考えてるなんてすごい」と素直に驚いたら
    「そんな事言ってくれるやつ今までいなかった」と照れられた
    親は継ぐのは当たり前だと思ってるし、つるんでる奴らは馬廘にしてくるしで
    褒められた事なんかなかったんだと

    200 :鬼女日記 2020/10/15(木) 09:46:47 ID:dA.sx.L1
    食物ばなしに便乗して
    今まで酒粕ってあんまり使ったことなかったんだけど、
    たまたま大量の酒粕を貰ったことをきっかけに酒粕のすばらしさを知った!
    お魚漬けてもお肉漬けても美味しいし、しかも一回使った漬け床使い回せるし
    2回くらい使いまわして最後は酒粕汁にして3度美味しい
    なんでこんなに便利で万能で美味しい食材使ってなかったんだろ
    おいしい料理のバリエーション増えて幸せ

    26 :鬼女日記 2011/01/30(日) 21:28:36 0
    長文です。

    当時、私はエスカレーターで大学まで行ける学校の生徒だった。
    父は、仕事は自営の資格商売をしていて、趣味人だということは知っていた。
    収入は結構あったようだ。子供の頃、不自由をした記憶はない。
    朝早くに出勤する父は、夜は早めに帰宅し、夕食は必ず私と母と3人で採っていた。それは、母との約束だったらしい。
    親子の団欒と言えば夕食だけで、父は土日もろくに家にいることはなく、家にいる時は書斎に篭ってなにやらしていた。
    その筋では有名なマニアというか、市井の研究者だったらしい。
    時々、父の友人という人達が訪れて酒盛りをしていた。
    よく、私と母に手土産と言って、珍しい菓子や珍味をくれたのも覚えている。

    741 :鬼女日記 2015/05/02(土) 09:05:15 ID:8jNDH0s40.net
    男児二人の下に生まれた女児やばい。こんな育児があったなんて知らなかった。
    引き出し漁ってるときに「めっ」て言うだけですぐやめる。百回言ったあとさらに追いかけ回さなくていい。
    だっこしたらペタンと体を預けてじっとしてる。上半身起こしてあっちこっち行こうとしない、腕が疲れない。
    お茶ができる。おやつをちょっとずつつまんで、折り紙とかお絵描きで小一時間静かに座ってる。信じられない。
    一気に完食したあと力がみなぎって立ち歩こうとするのを引き戻したり、食事を中断して外を歩いたり、断念して帰ったりしなくていい。

    でも、今いいことばかりだと今後のぶり返しがすごいんじゃないか?とか思ってしまう良くない思考体質が残念でならない。
    こんなほんわかゆるい育児を与えてもらって、本当にありがとうございます。

    535 :鬼女日記 2004/02/26(木) 19:51:00 ID:XtJY/z6D
    496で出てたシェパード好きな男の子の、悲しいことを消す方法。↓

    >>265さん、大丈夫ですか?悲しい事はまぼろしかもしれないです。
    悲しいと思ったらどんどん悲しくなるからそういうときは一回お風呂に入ってください。
    お風呂からあがってきても悲しかったら、枕で顔を押さえていっぱい泣いてください。
    泣くとへとへとになるから眠たくなったら寝てください。
    朝起きても悲しかったら、昨日悲しかったことは寝てる間の夢だったって思ってください。
    学校に行っても悲しかったら途中で帰って、広場で寝転がって雲を見て
    その雲がどこに行くか考えてください。
    その雲に悲しい気持ちを全部乗せてください。
    僕がその雲を見つけに行きます。
    そしてやっつけます。だから安心してください。
    雲のない空だったらそれはやっぱりまぼろしだったんです。
    そんな天気の良い日に悲しくなることはもったいないからです。
    それでもまぼろしじゃなかったんだったら花の種を買ってきて
    悲しい涙で花を咲かせたらいいと思います。でもきっと咲かないです。
    だって悲しいことはまぼろしなんだから。

    なごむ、というか、凄いなこの子、とおもた。

    982 :鬼女日記 2019/09/08(日) 01:25:37 ID:DvyQtgBx.net
    元嫁が子供がまだ1歳の時に離婚届と子供を置いて駆け落ちした。実家にも手伝って貰って必タヒで仕事と子育てをやってきた。
    子供が4歳になる頃、同じ会社に彼女ができて1年後に子連れ再婚した。
    結婚してしばらくして、嫁がよくスマホをいじる様になった。以前はスマホなんて音楽を聴くか電話か電車の乗り換えくらいしか見ない子だったのに、暇があればスマホを触る様になっていた。
    「あ~やっぱり25歳の子に子連れ再婚なんて荷が重すぎたのかな。好きな人でも出来たんだろうな。やっぱり俺は浮気されやすい人間なのかな」と思っていた。
    嫁がスマホを持ったままソファーで寝落ちしてたから、悪いと思いつつスマホを盗み見てしまった。

    嫁が見てたページはキャラ弁の作り方だった。
    アプリも料理とか育児日記とか育児情報や育児相談みたいなアプリばっかりだった。
    育児日記の内容は子供の成長を細かく書いてあって、分からない事を保健婦さんに電話して聞いたりしてたみたいで、そのアドバイスもしっかりメモしていた。

    こんないい嫁の浮気を疑って勝手にスマホを盗み見た事は一生墓場まで持って行く。
    償いではないが何があっても一生大事にすると誓う。

    523 :鬼女日記 2017/11/16(木) 21:51:40 ID:pAQQKgGH0.net
    私の馴れ初めではないが
    兄が最初の奥さんと出会ったのは大学生のころ。ベタ惚れだった兄の猛アプローチで卒業後しばらくして結婚。
    赤ちゃんもできて、兄は本当に幸せの絶頂だったと思う。
    でも、信号無視した車にはねられて奥さんもお腹の赤ちゃんも亡くなった。
    兄の落ち込みようは凄くて、今にも後を追うんじゃないかと思うくらいだった。
    なんとか立ち直るのに10年かかった。
    その間に私も社会人になった。
    会社の飲み会終わり、兄に迎えに来てもらった私は同じ方向の同僚も送ってやってほしいと兄に頼んだ。
    快諾する兄を見て、同僚は一目惚れしたらしい。
    まあ、妹の目から見ても兄はイケメン。
    それからはもう、毎日すごいアプローチだった。
    私と同僚はさほど親しくなかったが、毎日毎日兄のことを訊いて来た。
    押しに押しまくっていたが、兄はまだ前の奥さんと子供を忘れられなくて、断り続けていた。
    そっからまた5年ほど経って、ようやく兄の心が同僚に向けられた。
    なんでも、同僚が言った「私は絶対にあなたより先にタヒにません」って言葉に胸打たれたんだって。
    トントン拍子に二人は結婚した。
    でも、また奥さんが事故にあった。
    同僚はバイクでトラックとぶつかって、全身強く打っていた。ぶっちゃけタヒんでもおかしくないというか、タヒぬ可能性.の方が高かったらしい。でも同僚は助かった。
    救急隊員?の人が言うには意識が混濁してたのに、うわごとのようにずっと言ってたらしい。
    まだタヒねない。絶対タヒねないってずーっと。
    もう良く覚えてないけど三、四日くらい経ってようやく同僚は目を覚ました。
    ちょっと手に麻痺が残ったけど、それでも助かった。
    病室で、兄が泣いた。
    兄が声を上げて泣くのを初めて見たような気がする。
    それ見て、私もちょっと泣いた。
    先日、甥っ子が生まれた。
    このままずっと、幸せでいてほしいと思う。

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