鬼女日記 -鬼女・修羅場・キチママ系まとめ-

当ブログは主に既婚女性・男性板、 生活板、家庭板などから管理人が気になった話をまとめたサイトです。

    いい話

    68 :鬼女日記 2014/08/22(金) 17:47:46 ID:???
    私は両親が早くに離婚して(父不倫)母親に育てられたんだけど、母親も乳癌で
    私が大学3年の年に他界してしまった。

    社会人になってアパートで独り暮らしをスタートさせた時に、マンション用らしい
    小さな仏壇を買って位牌と小さな写真を収めた。

    初めて出来た恋人をいよいよ部屋に呼んだとき、その人に「うわー引くわー仏壇あるなんてありえねー、寺かよ気持ち悪い」
    と散々言われ、「仏壇閉めておけばよかったね、ゴメンね」と私も謝りながらも、なんでこんな謝ってんの私と思い始め、
    色々言訳して彼を追い出して、間もなく別れた。

    しばらく男性に懲りた後、やっと次に出来た恋人をかなり付き合ってから部屋に呼んだときは、「ごめんね、お仏壇閉める
    からね」とつい謝ったのだが、彼は「え、ちょっと待って」と言うと、お仏壇の前に座って手を合わせて、
    「○○と申します。初めてご挨拶するのに酒臭くて申し訳ありません。○○さんとは仲良くさせていただいてます。どうぞ今後とも
    宜しくお願いいたします」と言った。

    この人とは長い付き合いになるだろう、と思った。
    結婚までするとは思わなかったが。

    恋人以外に女友達を何人か部屋に呼んだこともあったけど、長い付き合いにな
    った子は、やはり酔ってても仏壇に挨拶してくれた子だった。
    「気持ち悪いから片づけて」とか、「仏壇には霊が憑きやすいんだって」とか訳わからないこと
    言ったりする人とはすぐ疎遠になった。

    母が鬼籍に入った時、「これからは一人で頑張るんだ」と思ったけど、一人ではなか
    ったのかもしれないなー、いつも母が見守ってたのかもなーと今は思う。

    1 :鬼女日記 2016/04/13(水) 13:57:27 ID:m5a3R37n.net
    高校の時、中学の同級生とバスの中でばったり会った

    その子は当時で三桁近い子で正直かわいいとは…はっきりいってブスだった
    女子達からも陰で馬鹿にされていたりしていた
    でも凄く優しい子で、そんな風に馬鹿にされたり意地悪されても前向きでさ
    文化祭とかイベントでも嫌な仕事を進んでやるような子

    バスを降りると、その子が、モジモジしながら、

    「あのね、ごめん
    迷惑ってわかるけど
    私、〇〇がずっと好きだった
    あ、いやいや、答えなくていいんだ
    ただ気持ちを伝えることができただけで満足なんだ」

    といきなりの告白
    正直引いた
    引いてたんだけど俺、この子が人として嫌いにはなれなかった

    それで
    俺、ありがとうってよかったら
    また連絡してくれよ
    ってその場の思いつきで携帯の番号渡した


    彼女から時々電話くれたりメールで話したりした
    たわいもない話だった
    中学の同級生がどうなったとか
    高校生活の様子とか
    テレビの話とか
    告白のことや付き合って欲しいということは彼女からは一切出なかった
    俺も意識的にそういう話は避けていた

    不思議なことに
    そうやって連絡はしてるけど、バスでまた会うことはなかった

    高校卒業しても大学卒業しても
    社会人になっても1か月に一回あるかないかに減ったものの連絡は続いていた
    何が楽しかったわけでもない
    ただ彼女は話上手で聞上手だった 👀
    Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)

    153 :鬼女日記 2012/10/03(水) 21:42:39 0
    産業でまとめてみる。

    3年前にウトが亡くなったときに夫とやったDQN。
    出棺のときに「六甲おろし」をかけた。
    爆笑できる葬儀というのも悪くはなかった。


    556: 名無しさん@おーぷん 2015/01/20(火)14:45:31 ID:33q
    何事もチャキチャキサバサバとこなしていく
    スーパー良トメだった義母が癌で余命宣告を受けたときに
    普段と全く同じチャキチャキした勢いで
    あっと言う間に家を整理してしまったのが衝撃だった。

    かなり衣装持ちな人だったのに最低限の洋服を残してサッパリ処分。
    小さなタンスに入院介護に適した下着類とパジャマ類を多めに入れて
    普段着は本当に最小限。
    あとお気に入りのスーツが1着。

    正月に義実家で集まったときに全員に向かって今後の指示を出すと共に
    「タンスのスーツは棺桶に入る時用だから忘れないで着せてね!」と宣言。

    遺影用の写真はコレ・葬儀屋はあそこ・でも最小限の葬式でいい・
    連絡して欲しい人リストはこちら・遺産というほどの物は義実家くらいだが
    ここは査定価格でこれくらいだから誰も住まないなら売って分けろなどなど。

    諸々の指示をサクサクと飛ばして義実家で3ヶ月一人で過ごした後に
    自分で選んだホスピスに入って2ヶ月で先に亡くなってた義父のところに旅立った。

    ホスピスに入ってから義実家に行ったら本当に何もない。
    でも誰かが泊まるくらいは出来るように最小限の布団や食器は残してある。
    ちょっと古びた旅館みたいな感じになってた。

    なんというか潔く綺麗な旅立ちで悲しむよりも先にあっけにとられた。

    最後の荷物に年代別の家族写真を見つけて初めてみんなで泣いた。
    自分も見習いたいと思う。

    61 :名無しさん
    20数年前、当時まだ20代前半の独身でOLやってた。
    新しく異動してきた上司が当時うちの会社では珍しい女性所長だったんだけど
    色んな意味で注目されてたのもあって気張り過ぎてたようで、とにかく女性社員に対して厳しかった。
    その上司が着任した当日、母が急に倒れて病院に付き添った為に会社への連絡が遅れ
    始業時間を15分ほど過ぎてから遅刻しますって電話を入れたんだ。
    それがこの上司の逆鱗に触れた。
    いい年をしてママ・ママって甘えんな、会社員は会社優先!みたいな説教をされた。
    係長が横で聞いてて「私子さんは母一人子一人だから、
    お母様が倒れられたら私子さんが病院に連れて行くのは仕方のないことですよ」ってフォローしてくれた。
    それが余計に火に油を注ぐ結果になった。
    男は若い女性社員には甘い!私が来たからにはそういうことは許しません!って感じ。
    本当に絵に描いたようなヒステリックな上司だった。
    最初にそんなふうだったから完全に嫌われてしまって、その後は今で言うパワハラを毎日受け続けて鬱になりそうだった。
    なんとか踏みこたえていたのは、母に心配を掛けたくないという一念だった。
    だけど“その日”は会社に向かう通勤途中で(マイカー通勤だった)、
    前日に怒鳴られた上司の声が耳から離れなくて、どうしても出社したくない気持ちになって
    もうダメだと思って一旦家に帰ろうと路地を左折した。
    左折して200mか300mか走った時に後方から爆音が聞こえた。
    すごく大きい音だったけど、私の頭の中はそれどころじゃなかったのでそのまま走って
    ファミレスで気持ちを落ち着けてから帰宅したら、自宅療養中だった母が私の顔を見た途端に号泣。
    私が聞いた爆音は橋げた落下事故(広島の)の音だったんだ。
    生まれて初めて腰が抜けた。
    あのまま左折しなかったらタヒんでたかも知れない。
    この一件があって、人生なんていつプツンと終わってしまうか分からないと思うと
    あんな上司にびくびくしながらこの一瞬を生きるのがアホらしくなって、母に全てを話して退職を決めた。
    母には「隠し事はするな」とこっぴどく叱られた。
    その後、専門学校に通い今の夫と知り合って結婚。
    夫婦で店をオープンすることを目標に頑張って働いているところ。

    100 :鬼女日記 2015/10/31(土) 19:52:42 O.net
    誰もいなそうなので私が恥ずかしい話を書き捨て
    奥さんの浮気で離婚した、連れ子(女の子)のいる男性と結婚した
    女の子は小学生で、母親が悪いと言う事は理解していても納得出来てはいなかった
    しかも奥さんはとても綺麗でスタイルも良かったらしく、デブで容姿も並以下の私が突然現れてお母さんだと言われても受け入れられる筈も無く、敵意や嫌悪の視線が凄かった
    でも蟠りはいつか解けると信じてぎくしゃくしながらも生活を始めた
    おはよう、良く寝られた?お帰りなさい、ご飯にしようか?宿題はやった?と聞いただけで、あんたなんかお母さんじゃない!偉そうにしないで!と反抗される
    でも当たり前だよね、私がお母さんだなんて納得いかないよねと思ってたから、寧ろ反応してくれるのが嬉しくてウザい!と言われても声掛けはしていた
    そんなある日

    961 :名無しさん@おーぷん
    私の父には姉と妹と一人ずついる。
    で、この父妹って人が、とんでもなくちゃらんぽらん。
    気ままに生きてる人で、ギャンブル大好きでしょっちゅう生活苦にあえいでる。
    父妹の子どもは3人いるけど(旦那とは離婚済)、上の子は身体障害持ってて独立が難しく同居。
    2番目は独立してるが、自分の生活で精一杯。
    下の子だけが働いて、一生懸命援助してた。てかこの子が大黒柱だった。

    そんな状況にもかかわらず父姉に借金するのはしょっちゅうで、父も相当たかられた。
    でも借金踏み倒す。いつも。
    それでも縁を切れずにいたのは、下の子が一生懸命だったから。

    で、何年か前に下の子が結婚し、最近になって子どもを産んだけど離婚して出戻った。
    で、前のような暮らしに戻ったんだけど、ここで父妹が覚醒。
    ギャンブルは相変わらずやってるけど、お金を借りてもきちんと返すようになった。
    無茶な金額は最初から借りなくなった。
    借金しても昔ならギャンブル行きだったのが、全部生活の為になった。

    とんでもない衝撃だったよ。
    誰も父妹を変える事ができなかったのに、小さな赤ん坊が全部変えた。
    自分の子3人いたのに、それでも変わらなかったのに。
    誰が何を言ってもきかなかったのに、今は誰も何も言わなくてもきちんと生きてる。
    喋ることのできない赤ん坊が、その存在だけで父妹を変えたんだ。
    あの衝撃は凄かったな〜

    900 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2016/11/30(水) 12:42:15.89 ID:ANTLaouT.net
    子供の頃、ゲームボーイが流行っているというニュースを見たうちの父は
    自室で隠れてコソコソと出来るゲーム機なんて許せん!と、ゲームボーイ禁止令を言い渡した。
    当時欲しかったゲームボーイソフトがあったので、自室ではやらないことを条件にゲームボーイとソフト購入を父に懇願するも
    「うちにはゲーム機(スーファミ)が既に1台あるのに2台も買うのは金の無駄」と許可してくれなかった。

    でもどうしても諦めきれない自分は意を決し、お年玉を使いゲームボーイとソフトを購入。
    自室にこっそり持ち運ぼうとしたら運悪く父と鉢合わせてしまった。
    自分の手にはゲームショップの袋をぶら下げている。
    「これは友人が買ったんだけど、俺がやりたいと言ったら気前よく貸してくれて…」
    …我ながら無理がある言い訳だった。
    ちょっと前に高嶋ちさ子が息子のDSをバキバキにした事件が話題になったが、うちの父も激怒したら躊躇なく破壊するタイプだ。
    ただ、友人のものと言い切ってしまえばさすがに手出ししないだろうと考えていた。

    全く信用していない父は友人宅に電話をかけ友人が出ると
    「〇〇の父だが、君が今日買ったゲームボーイを貸してくれたと〇〇が言っているのだが本当か?」と聞く。
    口裏合わせなんてしてないので友人は当然「何のことですか?」と聞き返す。
    「おい〇〇!やっぱ嘘じゃねーか!彼は何も知らんぞ!」と父大激怒。
    顔面蒼白で受話器を受け取った自分は
    「なにいってんの?w貸してくれるって言っただろwwwな!な!」と涙目で訴えかける。
    再び受話器を受け取った父は「おい君、本当はどうなんだ!」と怒鳴る。
    万事休すか…と思っていたのだが、自分の必タヒな心の叫びが通じたのか友人は
    ・実は貸した。
    ・ゲームボーイ禁止のうちの事情を知っていた(これは本当)のでかわいそうだと思った。
    ・怒られると思って最初は知らないふりをしてしまった。
    と咄嗟に嘘をつき、父に平謝りで詫びてくれた。

    たぶん電話越しに察して同調してくれた友人の嘘を父は見抜いていただろうと思う。
    でも友人に軽く説教するだけで深く追求しなかった。
    次の日「おめーよーなんで俺が説教されなきゃならんの?w」と小突いてきた友人を本気で抱きしめたくなった思い出w

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