自分語り

    12 :鬼女日記 2018/10/29(月) 08:40:31 ID:kx1
    部屋の掃除をしてゴミを捨てた
    その時にボロボロだった布団やカーペットも捨てたんだがそのあと新しいものを購入する気になれない
    もう2カ月布団被らずに床に転がって寝てる、おかげで暖房つけてたけど風邪も引いた
    それでも購入する気になれない
    なんかもう「どれにしようか」と選ぶことそのものが面倒くさすぎてやる気起きない
    髪を切るのも面倒で四カ月くらい切ってないし、服買うのも面倒でコートすら買ってない
    どうしたらやる気が起きるんだろう疲れた

    418 :鬼女日記 2011/02/07(月) 13:14:44 ID:FDq/8yBT0
    山崎パンで思い出したけど、親戚が田舎でお菓子屋さんをやっているのだが、パンも置いて有る。
    そこのお婆ちゃんに、あの白いお皿、同じ物を6枚こっそり貰ったことがある。
    シールは集めてませんでした。

    112 :鬼女日記 2015/10/15(木) 12:28:05 ID:Ur4
    食欲が止まらない
    朝から2時間おきくらいでだらだら食べてるよ
    メロンパン小、ネオバターロール3つ、炊き込み御飯お茶碗一杯、お味噌汁、アスパラガス(お菓子の方)、ラスク、梨3分の1…以上起きてから食べたもの
    産後のボーナスタイムとはいえ、これが続くとやばいだろうな
    でも食べるのやめられない~

    13 :鬼女日記 2016/05/28(土) 05:03:09 0.net
    昨日の夜会社から帰ったら家の鍵が回らない。
    おかしいなと思ってインターフォン鳴らしたら夫が出て
    「ここはお前の帰る場所じゃない○○(既婚彼氏)の所でも行け」
    「向こうも大変だろうけど」
    って言われて追い出された。
    実家が遠いんで初めてネカフェに泊まったけど全然寝れない。
    子供が心配だし自分の事も不安。
    バレないようにメールやラインや自分のスマフォでは絶対連絡とらないで会う時もお互いが出張の時だけにしてたのに。

    807 :鬼女日記 2016/02/05(金) 02:42:08 ID:e1Y
    修羅場かどうかわからんけど、この時期になると思い出す話

    さらっと昔話すると、僕の家族はみーんな16~17のころにタヒんじゃった。
    16の時に親父で、17の時母・弟・妹ってな具合。他の親戚はとうの昔にタヒんでた。
    役所いっても「プッ働けばw」みたいな事言われたから、高校辞めて働くことにした。
    2年までは進級してたから、一回辞めてお金貯めるか奨学金通ったら夜間に通おうと思ってた。
    唯一生きてる父方の祖母に保証人になってもらったり協力はしてくれたけど、
    かなり高齢だし自営で年金も大してなかったから、金銭的な援助は無理だった。
    家借りれる金が出来るまで、知り合いのガレージを間借りしてたりもした。

    そのころの生活は辛いのなんの。
    狭い部屋で暖房もなくて、家にいるときはずっと布団にくるまってた。
    畳でよかった。フローリングならタヒんでた。
    食べる物もろくに買えなくて、安い小麦粉買ってきて塩と水で練ったものを茹でたのが主食だった。
    もったいないから水で薄めた醤油に付けて食べて、時々安売りの野菜と卵買ってきて、
    お好み焼きみたいなの作るのが贅沢だった。ソースは高いから醤油オンリーだけど。

    18になって夜勤ができるようになって、スーパーに卸す食品工場で働いた。
    この時期は、関西ってのもあって恵方巻作りのシフトは夜通し働いた。
    節分なんてあんまりやらない家だったから、初めてまじまじと見たけど「ただの太巻きやんけ…」と思った。
    世の中の家族はこんな良いもん食ってんだな~なんて思って羨ましかった。

    でもその恵方巻は沢山廃棄されてた。それだけじゃなくてお惣菜とかも。
    工場で破棄する分もあって返ってきてたから、あまりの量にびっくりした。
    店舗廃棄も含めるともっと多いんだろうね。
    言うほど売れないもんだし、どこでも売ってるからな…。

    その時なんの意識もしてなかったけど涙が出てきた。
    なんでこんなに僕は腹空かして我慢してるのに、頑張って作ったのに、食べれるのに捨てちゃうんだろ。って。
    でも誰も顔色一つ変えずにポイポイ捨ててた。
    工場やスーパーからしたら、見切り品で食中毒なんてシャレにならんし、捨てるのが一番らしい。

    その日僕は人生で初めてゴミを漁った。ゴミ袋を回収に来る前に、廃棄された惣菜をこっそり持って帰った。
    とても悔しかった。なんでこんなことしなきゃいけないんだろうって事ばかり考えてた。
    それでもゴミの中から漁った久々の米はおいしかった。
    寒い時期で常温でも冷蔵庫みたいなもんだから、お腹一杯食べれた。

    241 :鬼女日記 2004/02/28(土) 18:10:00 ID:hyduMO8m
    私は小さい頃8歳年下の妹を苛めていた。
    殴る蹴るの暴行をしたり、妹に辛い仕打ちをしていた。いつも頼ってくる妹が大嫌いだった。

    ある日喉が乾いたので小1の妹に「おい、何か飲み物買ってこいや!」と命令した。
    妹は出かけたが待ってもなかなか帰ってこない。
    どうせどこかで道草食ってんだろう、買ってきたらしばきまわしてやる!と思っていた。

    とうとう夜になるまで帰ってこず、やっと7時に帰ってきた
    ドアを開けるとびしょぬれで両膝にすりむいた跡のある妹が立っていた。どうしたか聞くと
    「おかね、、おとした、おかね、、、おとした、、こけて、、お金おとした、、、探したけど、、
    みつからんかってん、、ごめんなさい、、ごめんなさい、、、」
    ひっくひっくとびしょぬれの体で泣く妹がそこにはいた。
    外は夕方から酷い嵐でその大雨と台風の中、妹はずっとこけてドブに落とした100円玉を探していたという。
    「なんで、お金なんかどうでもええやん、なんでこんな時間まで・・」
    と言うと「おこられる、、お金、おかねおとしたらおこられる・・ごめんなさい、、ごめんなさい」
    とぶるぶると震えていた。
    私は今までどれだけ妹に酷いことをしてきたか気づいた。
    妹にとって私はそれだけ怖い存在だったんだと気づいて自分で自分が嫌になった。

    ぎゅーっと抱きしめたら冷たかった。それから二度と妹に対して手を挙げることはなくなった。

    942 :鬼女日記 2015/03/30(月) 16:42:36 ID:sPI
    今はもうアラサーなのでそんな元気もないけれど、若い頃の私は正義厨だった。
    子供の頃の通知表には、「正義感が強く~」という言葉は高確率で書かれてあったし、自分自身も警察官になりたかった。
    だからといって、学級委員長やリーダー格になるような性格ではなく、どちらかと言えば大人しい性格。
    それでいて、クラスの子が何か悪いことをすれば、誰よりも先に先生に告げるというタチの悪い子供だった。

    確か、私がハタチくらいのころ、母と電車に乗っていた。
    電車は満員とまではいかないけれど、私が乗っていた車両の席は埋まっていて、立っている人が数人いた。
    私と母は席に座っていたんだけど、どこからか女の話し声が聞こえてきた。
    どうやら女は電話で話しているようで、かなりの大声。
    しかも緊急を要する会話ではなく、世間話。しかも下ネタ。
    みんな聞こえないふりをして、俯いていた。
    そんな中、私は「迷惑!」と思った時には席を立って、女の声の方へ歩いていった。
    女は同い年くらいの人で、私は女に「五月蝿いんですけど!」と怒鳴った。
    すると女は、目が合ってもニヤニヤしながら電話を続けた。
    私はもう瞬間湯沸かし器のように怒りが込み上げてきて、女に取っ付きかかった。
    それで抵抗する女から電話を取り上げて電源を切ってやった。

    電車を降りたあと、その一部始終を見ていた母から「アンタ、恥ずかしいよ」と言われた。

    母によると、周りにいた人々も私についてヒソヒソと話していたそう。
    「黙ってりゃいいのに」とか「どっちも迷惑だよ」とか。

    私は正しいことをしたと思っていたのに、世の中の大人からすればどっちも恥ずかしい行為だったことが衝撃的。

    ちなみに私は今、基本スルーで生きています。

    164 :鬼女日記 2017/02/14(火) 19:13:26 0St.V.net
    まさにここに書きこむべきだと思ったので投下。何から書けばいいのか分からないけど…。

    まず、高校卒業後、母親から早く逃れたくて勝手に上京。テンプレだけどフーゾクで暮らしていた。
    色んな男性の相手したけど、そのうちの1人が今の旦那。
    旦那はうちの店の常連さん。同僚から「あの人、大手商社に勤めているんだって」と聞いていた。
    あるとき、旦那が私を指名してお呼び出し。正直今の暮らしに嫌になっていたから玉の輿狙えるかな~と思って連絡先交換。

    当然だけど、高卒フーゾク女の私は、有名大卒・大手商社マンにはまるで相手にされず。
    でもその後何回も指名してくれて、お店では禁止されていたけど中だしもOKした。
    それが何か悔しくて(中高時代は結構モテていた)、「妊娠した」と嘘をついた。
    そしたらもう何か話がポンポンと進んで、あるとき、旦那の母を名乗る女性からうちの携帯電話に電話が来て、
    「うちの息子が本当に申し訳ないことをしました…」とワンワン泣いて謝罪。
    旦那も「責任はとる」と言って、あれよあれよと言う間に結婚話が進んだ。

    「結婚したらいつか本当に妊娠するだろうし大丈夫か」と思ってたけど、旦那が折りの悪い事に海外勤務に。
    マンションに一人で専業主婦していたんだけど、ホント悩みまくった。
    本当に妊娠しようと、またお店に勤めようかと思ったけど、出産時期ずれるだろうし諦めて、流産したということにした。

    そしたら、「お前が海外にいるから流産するんだ、国内に戻ってこい」と向こうの両親が騒いで、
    旦那は会社に異動願出して、国内勤務に戻り、しかも降格。
    総合職で若いうちの海外勤務はエリートコースだったらしいんだけど、コースを一気に脱落して給料も激減。
    とはいっても人並み以上に暮らせるし、なんとか子供2人に恵まれた。

    今、文科省のエリート官僚の天下りニュースが話題になってるけど、
    あのニュース見ながら旦那が「俺もナントカ省(名前忘れた…)に受かってたんだけど蹴ったわ。行けば海外勤務なくてエリートコースだったんだけどな」って言ってて、人生壊してごめんなさいって毎日思ってる…。

    300 :鬼女日記 2018/02/09(金) 23:34:50 ID:DrLGDE4b0.net
    機能不全家庭で育ち、自分は30目前でも抜毛癖&毛根を食べる異食症、長兄は生活保護なこと
    それを夫に隠していること

    父母は毎日口論(暴力もあり)からの家庭内別居
    一番被害を受けた長兄が一番の犠牲にあった(彼いわく弟妹を守ったらしい)
    次兄もなんやかんや苦労中
    私は一見とても順風満帆な人生を歩んでる

    幸いだったのは、三兄妹の仲が良いこと(長兄から殴られてたこともあったけど)
    父はギャンブルはせず堅い職だったこともありそこそこ稼いでいたこと
    母がとても真面目だったこと(糞真面目すぎてノイローゼになってた)
    母と私二人で参加していた学校外の活動で、良い友達に出会えたりそれぞれを客観的に見る機会があったこと
    母がそれもあり経済的にも精神的にも強くなったこと
    たまたま受けた素晴らしい中高一貫校に入れたこと
    恩師に出会えたこと

    あんなに地獄のようだった実家が、形は普通とは違っていびつかもしれないけど今とても落ち着いている
    それを少し受け入れがたい気持ちもあって落ち着かない
    大好きな夫の義実家の方々はとても良い人たちで、こんなのが嫁で申し訳なく、罪悪感がある
    私は実家が好きなんだけど、夫を積極的に連れていきたいとは思えず
    夫の子供を見てみたいけど今のようにラブラブじゃなくなったら?と怖い
    こんな感じで、ぐちゃぐちゃっとした気持ちが常にある
    でもこのまま周りの人に打ち明けられず生きていくんだと思う

    小学生のときに見た、普段飲まない酒を飲んで号泣してみんなに謝る母の姿をたまに思い出して辛くなる

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