鬼女日記 -鬼女・修羅場・キチママ系まとめ-

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    黒い過去

    562 :名無しさん@おーぷん
    母親から逃げるために、弟と妹を生け贄にしたこと。

    うちは両親がちょっと特殊な仕事をしていて、私は「どちらかの跡取り」になることを義務づけられていた。
    物心つく前から「将来は◎◎か、△△になるのよ」と言われて育ち、そのための英才教育を徹底的に仕込まれた。
    読書以外の娯楽は一切禁止で、友達と遊ぶ事も許されなかった。
    幼稚園から帰るのが嫌で「家に帰りたくない、ずっと幼稚園にいたい」とダダをこねたことを、今でもよく覚えている。

    小学校1年生のときクラスメイトが、
    「妹が生まれてから、両親が妹にかかりっきになった。妹のことばかりで、自分はほったらかしにされている」と言うのを聞いた。
    「弟か妹が生まれれば、両親は私をほったらかしにするかも」とひらめいた私は、帰宅してさっそく両親に「弟か妹がほしい」とねだった。
    両親としても、跡取りは2人(「父方の職業を継ぐ子」と「母方の職業を継ぐ子」)必要なので、いずれは…と思っていたらしい。
    私は両家の祖父母&従兄弟にも働きかけ、「やっぱり一人っ子は…」「兄弟はいたほうが…」と誘導してもらった。
    そして私が小学校3年生のときに弟が、小学校6年生のときに妹が生まれた。

    私の思惑通り母は弟と妹にかかりっきりになった。
    そして私はそれとなく、弟と妹がいかに優秀か、自分よりいかに優れているかを両親と弟妹に刷り込んだ。
    「弟は私より◎◎に向いてると思う」「私なんかより妹のほうが、ずっと△△がうまい」と言い続けていたら、
    いつの間にか弟も妹も本気になり、私が大学受験を迎えるころには「跡継ぎになりたい」と自分から志願するほどになった。
    両親は弟と妹を跡取りにし、私は晴れてお役御免となった。
    「お前には悪いが、お前は跡取りとして認めない。弟妹に継がせるから、お前は自分一人で生きろ」と言われたときの開放感は忘れられない。
    遠方の大学に進学し、そのまま就職して結婚して、今に至る。

    2人とも立派な跡取りになり、「お姉ちゃんが譲ってくれたおかげで、天職に巡り会えた」と喜んでくれている。
    譲ったんじゃなくて押し付けたんだ。巡り会えるように洗脳したんだ。
    自分の人生を守るためにしたこととだから後悔はしてないけど、今でも申し訳なく思っている。

    430 :名無しさん@おーぷん
    私には前夫の子供がいる。
    今の旦那その他には「子供を義両親に奪われて子育てさせてもらえなかった、気づけば向こうのいいように洗脳されて、平気で暴力を振られた」と話してあるが実際は違う
    私は毎日パチンコ通い、稼ぎは全てこずかいびた一文家庭に入れなかった。
    お金がない時は不機嫌そうに携帯をいじり家族がはなしかけても「あ゛?!」
    家事育児掃除?同居してやってるんだからあんたらの仕事だろ?と丸投げどころかおんぶにだっこに肩車。

    いつもパートはギリギリ気が乗りゃなきゃ突然休む、いずらくなり辞めるの繰返し。
    車に乗りながら化粧をするので前方不注意でオカマを掘ること5回。
    臨月ギリギリまでホコリ煙巻き上がるパチンコ屋でフィーバー。
    というか出産30分前まで確変が続いていて(今でも機種は忘れない…ガロ)気合いで産まなかったww

    負けたら家族に八つ当たり、たまに勝って何かもって帰って来たと思えばパチの景品。
    身内へのプレゼントは9割バッタモンのブランド。
    はっきりいうと義父母が育てて正解。

    当時の私が育ててたらたぶん事件の一つになって終わってただろう。

    子供に殴られたと言った傷跡は私が酔って暴れて舅にやられたものなんだよ、ごめんね
    その時は舅は肋骨と足の骨をおる重傷でした。

    今もお情けで子供に会わせて貰ってるとお話してるけど、実際は「年に二回いい母親を演じたら養育費は免除してやる」というのに飛び付いてるだけで本当は会いたくない。
    年に二回のエキストラのアルバイトだと割りきってる。

    だって恥ずかしい若気のいたりの過去そのものだから。
    私にとって今の家族が私の家族だしw
    「一緒に暮らしたい!」って言われても反応に困る。名前知らないし。

    152 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2017/01/29(日) 19:06:44.91 ID:U/Y1Ji5N.net
    墓場まで持ってくべきか謎だけどなんとなく言わないほうがいいかなと黙ってるのは近い親戚筋に元やくざがいること。
    もう小指切ってるから普通の人なんだけどなんとなく言わないほうがいいんだろうなと内緒にしている。
    結婚とか影響あるのかな?公務員は無理なのかな?とか悩む。元なら大丈夫なのかな。
    調べられたらアウトなんだろうか。
    バレない限りはずっと秘密にしておくけど、厄介だなーと思う。

    280 :可愛い奥様@\(^o^)/ 2016/12/14(水) 20:58:05.45 .net
    黒い過去かぁ。
    同居していた父を見杀殳しにした事くらいかなぁ。
    父は晩年アル中になり暴れはしないものの1日中飲んで灯油ストーブの目の前で寝てたりガスコンロを付けっぱなしだったり寝タバコしたりが日常で心底ウンザリしてた。
    亡くなる1週間程前に夜中に頭痛がヒドイから病院に連れてってくれって言われたけど断った。
    ある日の朝なんとなく気配がない気がして父の部屋の襖の隙間から覗いたら寝てたから気にしなかった。
    1日出かけて夕方帰ってきてやはり気配がないのが気になって覗いたらやはり寝てた。
    おかしいとは思ったけど見て見ぬふりをして誰にも言わなかった。
    それから数時間後、早朝から出かけていた母が帰ってきた時に、私も夕方帰ってきてご飯作ったり子供寝かせたりとバタバタしてたから気づかなかったけどそう言えば気配がない。寝てるんだろうけど気配がなさすぎる。何やら嫌な予感がするから確認してくれと伝えた。
    母が確認しに言ったらすでに冷たくなってた。
    ドラマのように青白くなってるわけでもなく本当にただ寝てるだけのように見えたから母も触ってみるまでは寝てるだけでしょ?なんて言ってた。
    母や旦那には上記のように言ったっけど本当は夕方の時点でタヒんでるんだろうなとはぼんやり思ってた。
    当時はホッとした思いが強く悲しいとは微塵も思わなかった。
    葬式中は悲しそうな顔をする事に努めつつ打合せからお金の管理、式の取り纏め、お金の管理等全てを請け負った。
    今でも、悲しいとは思わないけどアル中とは言えどもなぜもっと優しくできなかったのか、火の不始末さえなければ静かで害のない人だった。
    当時は私もまだ幼い子供二人の世話で精一杯で朝から酒を飲む姿すら見たくなかったのだけどそれは言い訳なのではないか、もっと優しくしてあげる事もできたのではないかと10年以上経つ今でもたまに罪悪感に押しつぶされそうになる。

    401 :鬼女日記 2011/01/05(水) 16:07:00 ID:fl7rsUYO0
    大学生の時にいたよー最近見なくなったなーと思ったらキセルで捕まってたって人

    偽造も学校でやってて、他の人が「元気~?」と肩を叩いた時に
    手元が狂ったせいで、雑な作りになってしまってそれでバレたんだって

    実家から親が上京してきて、どう謝ったのかは知らないけど
    本人は毎月一万づつ駅に顔を出して支払う事で話が付いたらしい

    そいつは最初住み込みの新聞配達奨学生みたいなのやってたんだけど
    そこの店主の妻と一時期駆け落ちして、店主が大学にまで探しに来て大変だった

    あとそいつはなぜかいつも金が無くて、ある日誰かが遊びに行ったら
    つぶ塩歯磨き粉で全身を洗ってて「毛穴がしまるから」って言い訳したらしい

    こいつは今芸能界にいるんだけど、
    ここで名前を出せば一気に黒い話になるんだろうな、と

    90 :鬼女日記 2017/03/27(月) 11:59:32 0.net
    義父から誘われるケースってあるんだね。
    私は出自が誇れるものではなく(親が部落出身)
    私自身は子供の頃から勉強とか人一倍がんばって
    人から認められるように努めてきたのに、

    義父は私の家柄のことを調べあげていて、
    それをバラされたくなければ俺と関係を持て、
    と言う卑怯な手を使ってくる人だった。
    そんな女ではありませんから、と断ったら
    「なんどー!何言うとんけダボが、もう隠しとく気
    のうなったわい」とかすごく怖い言葉で脋迫して
    くるので、やむを得ず関係を持つことに。

    今は義父も亡くなって、まわりには私の出自に
    関することも義父と関係を持っていたことも
    知る人は居なくなったけど、私の心の傷は深い。
    思い出すだけで全身に震えがくる黒い過去です。

    320 :鬼女日記 2015/09/15(火) 15:03:45 ID:D2l
    ババアのお古なんて私ならタヒんでもやだな。
    そもそもオッサンって変な臭いしない?なんか臭くて吐き気するわ。
    アレに抱かれたいとか抱かれて平気とかどっかぶっ壊れてるのかなー?

    私の黒は、中学生までDQNだった事。スタンガンで通り魔紛いしたり、家に火をつけたり、バイク燃やしたり。
    不良や教員に消火器ぶちまけたり、ガラス割ったりそのたんびに父が処理してくれた。母親は私の奇行が恐ろしくて行方不明。
    かっこは普通だったのでいまでいう真面目系クズ。
    末期は同級生を3階から落とそうとして失敗して、父親に「これ以上ごまかし切れない、庇えない」という言葉にキレて父のゴルフバットで頭蓋骨陥没。
    タヒななかったけど言葉にちょっと障碍が残ったのを見てやりすぎたと反省してピタリとやめた。
    別にバカって訳じゃないかったので引っ越して高校からは真面目に通って大学まで行って就職先で出会った旦那と結婚した。
    父は私が大学出てすぐにタヒんだよ。
    陥没した所に血がたまってたから間接的に私が杀殳したようなものかもね。

    19 :鬼女日記 2004/10/01(金) 13:19:02 ID:pnElvlr9
    親が借金で首がまわらなくなり、倉庫代わりに使っていたアパートに放火。
    幸い大火事にならず、部屋の中で鎮火。部屋の荷物は黒こげになり火災保険を
    もらいそれで一部借金を清算。(知っていながら消防に言わない私も共犯だね)
    他の兄弟はそういう事をする親だと思ってないから、借金関係で親と対立して
    絶縁状態になり距離を置いている私を身勝手で血も涙もない姉だと思っている。
    親戚にも都合良く言っているので、私が男に狂って身内を捨てた親不孝だと思われている。
    妹の結婚する事も知らされてないし、結婚式も呼ばれなかった。
    給料の2/3を名義貸ししたサラ金の支払いに当てていた生活に疲れたんだ。
    母一人、子一人の母子家庭だったのに。
    それを知った上で結婚してくれた夫が残った借金を清算してくれて、今の生活が
    あるんだ。
    夫にも言えないよ。自分の親が放火して火災保険をだまし取ったなんて。
    親もわざと重荷を背負わすために、私だけに言ってから実行したんだ。
    誰にも言えない。
    スレ汚しゴメンナサイ。苦しかったのではき出しました。

    43 :鬼女日記 2015/09/06(日) 01:20:32 ID:YfO
    自分が被蒫別部落出身者だと親に教えられた高2の夏が一番の修羅場だった

    それまでは人権啓発週間やら部落蒫別問題を考えるやらのキャンペーンも他人事で、
    作文を書かされる度に「生まれだけで蒫別される人がかわいそう」という上から目線な考えで
    作文書いてた
    そんな作文でも表彰されたり発表会でスピーチもした
    今思うとタヒぬほど恥ずかしい
    うちは被蒫別部落出身だけど、クラスメイトにはそうじゃない子たちもいる混合学校だった
    だから、高校でできた友達は決してうちには来なかったし、私を招いてくれることもない子もいた
    (親御さんが絶対に許さなかったらしい)

    親は、「大学は一般入試で行きなさい。センター試験前にAおばさん(被蒫別部落じゃない、遠方地に住んでいる親戚)の家に
    下宿させてもらって、高校も転校しなさい。大学で出身地や出身校を聞かれた時、うちだとバレる」と…

    303 :鬼女日記 2015/04/01(水) 13:35:07 ID:U1J
    母の訃報を大喜びで今か今かと待ちわびていたこと。

    子供の頃、ペット飼いたい、だけどノーリードの犬に噛まれて以来犬が怖かった私に、
    母が犬を買ってきた。しかも大型犬のレトリーバー。
    びっくりする私を、母はあんたが欲しがってたペットでしょ!なんで喜ばないの!と叱りつけた。
    私が欲しかったのは猫か鳥だったんだけどね。
    苦手は苦手なりに、面倒見たり一緒に遊んだりしていれば情が移る。可愛くなってくる。
    子犬だったこともあって恐怖感は徐々に薄れ、数ヶ月もすればすっかり犬好きになっていた。
    そしたらある日の夕食時に、突然あの犬上げることにしたからと告げられた。
    驚愕、後号泣の私に、あんた犬嫌いだったでしょ、あんたのためにもらい手探してきたのに
    なんで泣くの!と母は怒り狂った。

    母のことを思い出す時、一番強烈に思い起こされるのがこの記憶。

    運動音痴で超インドア派だった私が、ピアノか絵画教室に通いたいと頼んだ時も、
    なぜだか体操教室とプールに突っ込まれた。
    泳ぐ方はそこそこできるようになったけど、体操はぜんぜん上達しなかった。
    この時は体が弱くて話し下手な私を、
    体力をつけさせつつ同じ年頃の子達と馴染ませようと思ってくれた親心なんだろうと信じてた。
    実際にはぜんぜん逆で、まったく上達しない私は周りの子に馬鹿にされてからかわれていたけど。
    だけど犬のことがあって、ああ母は私が嫌いなんだなと自覚した。

    家庭内では影の薄かった父が亡くなり、母が独居になり、体調が思わしくないので、
    一緒に暮らそうって催促が来たのを無視したり冷たくあしらったりするのがとても楽しかった。

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