鬼女日記 -鬼女・修羅場・キチママ系まとめ-

当ブログは主に既婚女性・男性板、 生活板、家庭板などから管理人が気になった話をまとめたサイトです。

    めでたい

    17 :名無しさん@おーぷん
    俺の両親が介護が必要になったときに、嫁が子供連れて逃げたのが修羅場。

    俺両親、同時期に介護が必要になる。
    1年ほど俺だけで介護してて、
    仕事と介護でフラフラに。

    当時仮面夫婦歴10年近い専業嫁が介護を
    恐れて、子供を連れて離婚を請求してくる。
    のちに離婚成立。

    俺両親、知人の紹介により施設に入る。このあとに俺再婚&出世。

    介護がなくなったことや俺が出世したことを元嫁が知り、
    子供をネタにした金銭要求や接触が激しくなる。
    子供も子供で、離婚に対する恨み節や、
    あれ欲しいこれ欲しいばかりで
    普段の仕送りへの感謝の一言もない。

    あまりの糞ぶりにブチキレて、
    善意で払ってた大学の学費と一人暮らし費用の振込みを取り止め。
    奨学金を借りろと伝える。
    ちなみに俺には法律的にも払う義務は一切ない。

    今さら謝ってきてるが、
    元嫁も娘もバカすぎるわ。
    こんな奴らにもう払いたくない。

    941 :名無しさん@おーぷん
    サークルの飲み会で後輩に性的な質問を繰り返す男子がいた
    おかげでサークルを抜ける後輩が続出
    後輩数人と部長からの要請を受けてこいつを呼び出して説教した。なぜか後輩二人(男の子と女の子)も同行してくれた
    「●●ちゃんは俺のセクハラ嫌がるけどさぁ、そうやって性的なこと避けてたら欲望上手く隠してる奴に食べられちゃうよ〜俺は純粋だから隠せてないだけなのに」
    って言われたから
    「ほんとに純粋な人はそもそも自分の欲望を満たすために人を傷付けたりなんてしませんよ〜」
    「最初から男と深く関わらないようにしてれば解決する話じゃないですか」
    と返した後輩に続いて
    「要するに強カン魔を見分けられるようになるために痴漢で慣れとけっけこと?」
    って言ったら
    「えっ、俺のそういう発言って、痴漢ぐらい嫌なの…?」
    って聞かれたから
    「うん!」
    って三人で声を合わせて答えたら私とその場にいた後輩二人のところには近寄らなくなった

    こいつは後に社会福祉関連の講義の先生に
    「とあるアメリカの学校では若い女の子が『No!』を言うことが出来るように自尊心を培い自分の権利を自覚できるように教育したところ、10代の妊娠と中絶が減った。
    ○○君の発言を退けられる女の子こそ、そういった悪意から身を守れるんじゃないかな」
    って叱られてから飲み会でも大人しくなってくれた

    437 :名無しさん@おーぷん
    学校に2人病弱キャラがいたんだけどさ、その片方がスレタイだった
    仮に2人はAとBにする。二人共女子
    Aはいつも顔が赤くて体があつかった。でも日頃は活発でキビキビ動く人だった
    Bはいつも顔色が悪くて手が冷たかった。日頃ゆっくりしか動かなくて弱々しい喘息もち
    Aは体育とか出るんだけど、アップのグランド3週でへばる体力の無さだった
    Bは頻繁に目眩だ貧血だとはなから体育見学していた
    いつもAとBの体調の悪さは重なってて、Aが体調がわるければBも悪くなるってことがしょっちゅうだった
    Aはとにかく体力がない。1階から4階の移動教室でも途中で休み休み登ってた
    移動教室のときは授業遅刻は当然だし、体が熱いせいで滅茶苦茶汗っかき
    スタミナが貧弱で殆ど動けないのに腹ペコキャラで、2時間目と3時間目の間と、6時間目が終わった後にいつも隠れてパン食ってた
    なのに太らなくて、クラス皆キモいと近づかなかった
    真冬なのに暑い暑いとシャツ一枚だったりしたから、変人扱いされてた
    Bは低血圧らしくて朝が苦手、一日ボーッとしてることもある。顔色があまりよくなくて、すぐ貧血や目眩がするから頻繁に保健室行ってた
    手も冷たいし、痩せててほっそりしてたから、見るからに病弱って感じ。真冬だと寒くて動けないって毛布みたいなの持ち込んで身体に巻いてた
    だからAとちがって皆よくBのことは心配してた
    二年のとき、体育祭前日の予行練習の日が滅茶苦茶猛暑だった
    すごい厳しい学校だったから4時間ぶっ通しで軍隊並みの揃った行進練習させられたりするんだけど、真昼のもう直ぐ休憩だってあたりでAが倒れた
    声も出ないくらい息がゼーゼーしてた
    するとそれに触発されるようにBが「あ、私ダメかも」と言いながらふらっとその場にしゃがみこんだ
    「だめ、めまいがする、頭が痛いの」と的確に症状を説明した
    皆はいつもの癖で、先生までBに駆け寄って保健室に連れて行った
    Aは先生に叱咤されて立たされた
    「お前はいつもすぐそうやってへばって、歩いてるだけだろうが!なぜ立てない!」みたいなことを体育の教師が怒鳴ってた
    でもAはどう見てもBより重症。顔が真っ赤になって腫れてるし、膝が震えて支えなしでは立てない。顔からは滝のような汗が流れて、返事ができないくらい息が荒い
    でもみんな普段からAはこんなんだと誰も何も言わない
    「先生、Aも保健室連れて行ったほうがいいと思います。いつもと違います」と勇気を出して言ってみた
    担任もBを保健室に連れて行ってすぐに戻ってきてたから、担任にも連れて行ったほうがいいと言って、担任と2人、肩をかして保健室に連れて行った
    保健室にはケロッとした顔のBがいた
    Bのことを見ていた保健室の人はAを見るなり、保健室の電話を割れる勢いで叩いて救急車を読んだ。Aは熱中症をおこしていた
    体育祭の予行練習はその後何事もなく終わった
    皆Bの心配はしてたけどAのことは大げさじゃない?と噂した
    翌日Aは学校に顔を出した。目には眼帯をして、両手はガーゼと包帯でぐるぐる巻、喉にもでっかいガーゼが貼ってあった
    「皆さん迷惑かけてごめんなさい」と頭を下げた。担任がAは病気で入院することになったと告げた。BはAのことを中二病っぽいとバカにした
    私はAのお見舞いに行った。病院が学校から徒歩15分くらいだったから
    ちょうどガーゼを変える時間だったみたいで、私はガーゼの下を見てしまった
    眼帯をしていた目は腫れ上がって紫色になってた。両手の指は全部水泡ができて敗れたりもしていた。喉は掻きむしったあとに血が滲んでいた
    服で見えなかっただけで、皮膚の柔らかい腕の内側や胸元も皮膚が赤くなって爛れたようになっていた
    「それが病気?」と聞いたら、「免疫の異常だよ、私そういう病気なの」と言われた
    当時の私には難しくてわからなかった
    バセドウ病というのと、膠原病というのにかかっていた
    しばらくしてAは学校に戻ってきたけど、眼帯と包帯はとれてなかった
    治りかけると痒くなって夜中に掻きむしってしまうんだと聞いた
    Bは大げさだ大げさだとはやし立てた
    皆もAのことを少しは心配したものの、見た目の痛々しさもあって近づく人は余計減った

    218 :名無しさん@おーぷん
    ・弟と私でお小遣いの額が違った
    ・父に殴られても弟は庇われるのに私は庇われなかった
    ・弟は制服が破れた時に何も言われなかったのに私はお小遣いとバイト代から差し引かれた
    ・門限に遅れると私は締め出されたのに弟は無罪放免
    ・私は小学校の時から皿洗いをさせられたのに弟は高校まで家事を免除されていた
    ・私だったら怒鳴られてたことが弟はお小言だけ
    ・弟が私のものを取っていくのはスルー。私が弟のものを使うと発狂

    とまぁ一つ一つは端から見れば細々したことなんだろうけど、昔から弟と差別されていた
    高校の頃に一度だけ母に泣きながら訴えたことがあるけど
    「違う子供なんだから育て方が違って当然」
    と言われ
    「それならむしろ私より成績も素行も悪い弟に厳しくすべきなんじゃないの」
    と言ったら
    「弟はあんたと違って愛される。あんたは勉強と家事しかできないから勉強と家事させてる」
    と言われたので
    「それはお母さんが今に至るまでそうなるように育ててきたからでしょう。これはむしろ貴方の差別の証拠でしょう」
    って言い返したら殴られたw

    まぁ当然自立してからは疎遠になるよね
    それでも最低限の付き合いはあったよ。正月には実家に帰ったし夫もちゃんと紹介したし
    夫と私が子供産まないってことで合意してる〜って話したら「楽をするな!」って怒鳴られて、夫の給料が私より少ないことを馬鹿にされてからは最低限の付き合いもなくなったけど

    そんな母とこの前十数年ぶりに再会した。
    母に遊びに誘われて、冥土の土産に仲良し母娘ごっこさせてやろうかな〜って感じ
    いつの間にか母は車いすになってすっかり老け込んでいた。
    付き添いで義妹が来てくれた。眉間のシワが印象的な人だった
    ご飯食べたり観光地を案内したりしてブラブラ。3人とも心の中では楽しんでなかったと思う
    レストランで晩御飯を食べてる時、義妹が電話するっていって席を外した隙に母が怯えるように私に相談してきた
    簡単にまとめるとトイレの付き添いが面倒だからって一日に一食しか与えられてないらしい
    諸々の介助も耳元でブツブツ嫌味言われながら行われるらしい
    流石に殴る蹴るみたいなわかりやすい暴力はないけど機嫌が悪いと太腿をひねられるとかなんとか

    「違う人間なんだから運命が違って当然」
    って言ってやったw
    母は自分が言ったことを覚えてないみたいでポカンとしてた。それだけがちょっと心残り
    母は義妹の押す車いすに乗って帰っていった
    ちらっちらっと私の方を何度も向いてきて面白かったわ

    298 :名無しさん@おーぷん
    少し前、新しい電車が走る事になってうちの畑が撮り鉄とやらに荒されるようになった
    線路手前が爺さんと婆さんが丹精込めて作っている畑
    線路の向こう側が空き地になっていて、撮り鉄連中は空き地に勝手に停めて、畑に入って撮影している状態
    畑も空き地入口も有刺鉄線で囲ったけど、切られて撤去される有り様だった
    まとめで見るように重機で穴を掘ろうにも、レンタルしてお金をかけるのも馬鹿らしい
    で、養豚業者からただで貰ってきた肥を空き地一面に敷き詰めた
    トラック3台分くらい
    どうせ、その周りは民家もないし、田畑ばかりなので苦情も出ない
    空き地入口は数日かけて自分で鍬持って2m幅を50?位の深さで耕しておいた
    そしてやつらが来る週末
    朝から耕したところにたっぷりの水をまいて腐葉土で覆っておいた
    そのまま出掛けて夜に見たら車が1台お辞儀してた
    誰にも言わず、一人天誅を下し、必杀殳仕置き人になった気分で
    悦に入ってるなんて恥ずかしくて誰にも言えない
    爺ちゃん、婆ちゃんは肥をまいた空き地も使って
    一生懸命畑仕事に勤しんでいるから良い事をしたと思ってる
    レッカーも入って来れない場所なので、撮り鉄の車はどうしたか知らないけど、
    いつの間にかなくなっていた
    不法侵入だから警察も呼べずに困っただろうなw

    251 :名無しさん@おーぷん
    俺が小学校低学年の時に両親が離婚して
    ずっと父親のDVと不倫が原因で
    養育費とか慰謝料貰わず逃げるように離婚したって吹き込まれてて
    それが全部嘘で不倫したのは母で養育費も貰っていたし
    それを全部母と再婚相手が使い込んでいて
    父親は何度も面会を望んでいたみたいだったけど
    それも勝手に俺が会いたくないと嘘ついて面会も拒絶していたのがわかった時が最大の修羅場だったなぁ

    今はもう自立して母とは連絡とってない。
    父とは誤解もとけて、父の再婚相手と異母兄弟の弟たちとも仲良くさせて貰っている。

    69 :名無しさん@おーぷん
    夫の実家はあまり裕福じゃなくて、義母の伯父所有の古い戸建を安く借りて住んでいた。
    3DKの平屋に義父母と夫と義姉の4人が住んでいたが、義父が亡くなり、義姉が遠方に嫁ぎ
    私が結婚した時は夫と義母の二人暮らしだった。
    結婚当初は義実家の近くに新居を借りて住み、義母は一人暮らしをしていたが
    持ち主の義母の伯父さんが亡くなって、相続した義母の従兄から立ち退くか買い取るかを要求されたんだが、
    土地自体は割と広かったし、立地も悪くなかったので買い取ることにした。
    そして夫と私とで建て替えて義母と同居することにした。

    家が完成してから、義姉がそれまで通りに当り前のように帰省してきた。子供ふたり連れて。
    あまりいい気分ではなかったが(義姉とは性格的に合わないので)義母が居る以上仕方ないと思い
    そこは目を瞑ることにしていた。
    義母も私たちに気を使ってか、それまでは年3回帰省してきていたのを年末年始だけにするように言ってくれたし。
    夫も「今までみたいに実家だと思わないでくれ」ってハッキリ言った。
    けど、それに対してハッキリした返事を聞いたことがなかった。聞き流してるふうに見えた。
    昨年の春、義母が亡くなって、昨年暮れの30日にいつも通りに子供と一緒に帰省してきた時は
    亡くなったばかりだから仕方ないかと思って受け入れたんだけど、
    義母がいなくなった途端に完全お客様状態で、何も手伝わないしお金を入れるわけでもなく一週間いられた。
    建て替えてから義母が亡くなるまでの間は、滞在中の3人分の食費ぐらいは入れてくれてたけど
    後で思えば、あれは気を使った義母が出してたんだろうな。だから義母がいなくなって出さなくなった気がする。
    まあでも、お金のことはいい。人んちに来て態度が大きいのがとにかく嫌だった。

    110 :名無しさん@おーぷん
    友人2人の話。

    私とA子とB子は高校1年生のクラスが同じで仲良くなった。
    私達の高校は英語教育に力を入れているところで、1日の授業の半分以上が英語関係だったりした。
    A子もB子も「外人さんと結婚してハーフの子を産む!」という夢のためにこの高校に入ったと常に言っていた。
    私は同時通訳者になりたくてだったが、そういう夢もあるのか〜と応援?していた。

    A子は「外人さんと結婚する」だけではなくて、昔読んだ本に出てきたイギリスのなんとかっていう場所が大好きで将来は絶対そこに住む!そしてそこの人と結婚する!という夢だった。

    A子の家は本人曰くあまり裕福じゃないので留学には行かせてもらえないからと、休み時間にはいつもALTの先生や外国からの留学生と交流して英語力を上げていった。
    そして教養も身につけないと、ということで日本の文化である茶道部と華道部を掛け持ちしていた。

    そして高校卒業後1年間フリーターをしてお金を貯め、その後ひとりでイギリスに飛んでいった。
    そのまま向こうでいい仕事をみつけ、30歳のころに「結婚します」報告を受けた。
    写真を見せてもらったが、A子の長年の夢のとおりに、優しそうな「外人さん」だった。

    すごいな〜本当に夢を叶えたんだ〜と祝福した。

    対してB子。
    B子も同じ「外人さんと結婚する」という夢を持っていたが、B子は何もしなかった。
    英語を勉強するでもなく、頑張るA子を「必タヒw」と小馬鹿にしたりしていた。
    A子が留学生と会話しに行くのにB子を誘っても、喋るの緊張するからヤダ〜などと言っていた。
    そしてそのままB子は大学生になり社会人になり、いま35歳。その間ちらほら彼氏(日本人)もいたようだが未だに「外人さん」と結婚すると夢見ている。

    B子は英語を勉強するつもりはなく、日本に来て仕事をしていて、日本語ペラペラな人を狙っているんだそう。
    でもやっぱり、例えば外国人が多いバーなど出会えそうな場所に行ったりするわけでもない。いつかそのうち誰かが道端で声をかけてくれる!と信じている。

    いい加減現実見なよと遠回しに伝えるも、「オリンピックのときは東京に行こうかな!外人さんいっぱい来るし!!」とか言ってる。
    オリンピックのときにはもう40歳近いけどどうするんだろう。

    高校卒業以降は友達というか知人レベルの付き合いになってしまったけど、ニラオチしてる。
    私が結婚したとき夫のことを「あんな日本人とよく結婚できるねww背も低いしw」と言われた恨みは深い。

    対するA子は「ハーフの子」にも恵まれ幸せそうにやってる。

    B子の神経わからん話。

    704 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2014/09/03(水) 13:36:23.34 ID:KhHSHBgr.net
    小学5年の夏休みにキャンプがあった。二泊三日だったと思う。
    1日目の早朝、まだみんな寝ているのに私だけ起こされ、
    分かる範囲でいいから荷物をまとめなさいと言われた。
    荷物をまとめると、車に乗せられそのまま出発した。
    理由を聞いても何も話してくれない先生達。
    何か悪いことしたんだろうかと脳内パニック。
    そのまま車を走らせ、着いた先は地元警察署。
    婦警さんに「お家が火事になって、あなたのご家族と連絡がとれない。誰か親戚の大人の人と連絡がとれないかな」みたいなこと言われたと思う。
    母方の祖父母と、叔父さん夫婦が来てくれた所までは覚えてる。
    極度の緊張と貧血で倒れてて、気が付くと病院で側には叔母さんが付き添っててくれた。
    家が火事でみんな焼けタヒんだんだ、これからどうなるんだろ。
    と不安になっていたら

    「お母さん達ね、○○の温泉に居て今こっちに帰って来てるから」

    緊張の糸が切れたのか、それから2日間眠りっぱなしだったらしい。

    747 :名無しさん@HOME 2016/04/13(水) 22:01:50.78 0.net
    兄貴嫁「赤ちゃんできました〜!」
    兄貴「え?マジで?ほんとにマジで?マジ?本当に?え?どうしようテンション上がりすぎてヤバいマジでヤバいんだけどほんと?マジ?ちょっと走ってくる!!!!」
    家から飛び出す兄貴
    聞こえてくる救急車の音


    兄貴よ・・・
    全治2ヵ月とかバカですかあなた

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