ネグレクト

    857 :鬼女日記 2017/08/31(木) 09:42:16 0.net
    私たちに子供産まれてからはそれなりの距離で、関係もまぁまぁだったから油断してたかもしれない
    昨日うちの子が「ひらがな教えて」って聞いてきたんだ、偉いなぁと夫が教えてたの
    そしたらなかなか上手く書けなかったみたいでぐずり始めて、だんだんと「書けないとだめなの…」って言い出した
    うちは共働きで保育園に預けてて、来年から小学校だし頑張ってるのかななんて、大丈夫だからね、ゆっくりでいいよって寝かしつけたけど…
    そんなに何かをやらなきゃ!ってなるほどの性格でもないし、保育園で何かあったのかなって思ってたら夫が「しばらくこっちの実家には来なくていいよ」って
    あー、あのウトメ何か吹き込んだなと…

    で、今朝子供を保育園に送って行き、仕事が休みだった夫に朝一で義実家向かわせたところ
    ウトメが満面の笑みで「孫ちゃんはお受験頑張ってるの?」だってよ
    さっき夫から電話きて呆れた…
    夫も小学校は私立って言われてたらしく、近所のお友達と離れたくないって泣いて訴え公立に入ったら、そこからネグレクトに近いことが始まり…
    義理の弟は幼稚園から私立で、ウトメは学歴厨だから義理弟溺愛
    だからこっちには過干渉もなくて、孫ちゃん可愛いわーくらいのお盆と正月顔出す程度だったのに…車で20分くらいのところに義実家あるから、それ以外にもたまには顔出したけど

    227 :鬼女日記 2017/02/23(木) 12:52:41 ID:njp

    犬小屋で凍タヒ寸前の同級生(8)が寝ていたのが修羅場。


    もう20年以上前の話。
    当時のことをちょっと思い出してしまったので投下しにきた。

    宗教・キチ・長文・胸糞
    当時8歳。うろ覚えのところもあるからそこは推測も混じる。
    同級生=以下Bとする。

    以上がアウトな方は回避推奨です。

    Bは小学校に入ってすぐ転校(1年生の途中)してきた。
    詳しくは知らないけど祖父母の元に母親と身を寄せていた風。
    そこまでは珍しい話じゃないけど、その家の祖父母がおかしな宗教にハマっていたことから近隣は遠巻きにしていた。
    私とBは家が近所だったから登下校で毎日一緒になっていた。(集団)
    Bは冬でもTシャツ半ズボンだったから当時の私には異様に見えた。
    私の地元は毎年冬には20~30cmの積雪がある地方。
    そんな中をTシャツと半ズボンだけで外に出すなと近隣の大人が何度も言ったそうだが、祖父母は耳を貸さなかったそう。
    クラスがいっしょだったから、給食の時に「家で食べさせてもらえない」って聞いて以来、食が細かった私は毎日おかずとか牛乳とかをあげていたのを覚えている。
    今でいうネグレクトだが、どうもこれは宗教かぶれの祖父母の教育方針で
    「薄着の方が強く育つ」
    「〇〇様のお告げで子供に贅沢をさせてはいけない」という理由かららしい。(母談)
    見かねた大人が子供のおさがりをあげても祖父母が処分するという悪循環。
    当時の近隣の大人たちの心境は「関わりあいたくない」「凍(餓)タヒでもしたら」という感情が混じり、祖父母の眼に触れない範囲でご飯を食べさせたり、登校の際に上着を貸して、下校の際に返すように言ったりしていたそうだ。
    当時児相とかがあったのかはわからないけど、大人たちは学校に相談したり、担任が直訴に来たり色々していたようだ。
    二年生の夏休みに脱水症状で道端で倒れているところをうちの母が保護したこともある。
    それがきっかけで体調がよくなってからBは家で夕飯を食べていくようになった。
    こう書くと典型的な放置子を拾ってしまった風にも見えるけれど、Bは放置子にありがちな悪ガキではなく、食べた食器を自分から洗ったり、弟(3)をあやしてくれたり、大人と会話をする時に敬語を使っていたりと、その年の子供にしてはしっかりしているいい子(母談)だった。
    毎日うちでご飯を食べていることを気にしていつも私に謝っていた。

    69 :鬼女日記 2017/09/20(水) 15:09:23 0.net
    うちは実父がDV野郎で、殴られても耐えてる母が可哀想だった
    私が何度も離婚してと頼んでも耐えてるだけだった母が
    職場の上司(女性)が動いてくれて離婚したのが私が小学5年の時
    ようやく平和な日が来る、これから私と弟が母を守らなきゃ!と思ってたのに
    離婚後半年もたたないうちに男を連れてきて「今日からあんたたちのお父さんよ」
    これに怒った女性上司ににらまれて居づらくなって会社を辞めて
    その後母は再婚妊娠出産
    育児は放棄気味で新しい男と出掛けてばかり、私と弟で赤ん坊(妹)の面倒を見た
    見かねたご近所さんが児相に連絡してくれたら
    新しい男が私だけ残して2人は施設に預けると言いだした
    これは犯されるか杀殳されるかのどちらかだと思って実父の所に逃げた
    それから25年
    母がタヒんだと今朝連絡が来た
    顔を見に行くべきか行かざるべきかそれが問題だ

    940 :鬼女日記 2017/04/23(日) 12:12:03 ID:ust
    愚痴というか吐き出したい。

    10歳の時に妹が生まれ、幼稚園に入ったら母が仕事を再開したので、私が妹の世話をするようになった。
    妹の世話は楽しかったし、周りにもいいお姉ちゃんだねいいお母さんになるねと言われて、完全にその気だった。
    自分は母性愛あふれる子育て上手なお母さんのイメージだった。

    でも自分が結婚して子供が生まれたら、全然楽しくない。
    妹みたいに幼稚園に行く年齢になったら楽になるかと思ったけど、やっぱり駄目。
    嫌になってネグレクトみたいにしてしまって、夫に母を呼ばれた。
    育児が辛い、妹の時みたいにうまく行かないと泣きついたら、妹は普通じゃないくらい頭が良かったんだと諭されてショックだった。

    うちの子は4歳でも掛け算ができない、名前も書けない、自分で本が読めない、2時間じっとして映画を見れない、将棋のルールを覚えない、電話に出て受け答えできない、おつかいにも行けない。
    どれも普通だと言われたけれど、妹はできていたもんと思って、慰められて嘘をつかれてるんだと信じてた。

    妹は学校の成績も悪かったし高卒でバイトだから、あの子の頭がいいなんて思ったことなんかなかった。
    学校の成績は、教師と仲が悪くていい点とっても怒られて、やる気が出なかったからさぼってたらしい。
    私が社会人になって家を出た後、学校でひどいいじめをされてから同年代の人間が駄目になって、大学進学しなかったと初めて知った。
    今のバイト先は年配者ばかりだから楽しく働いているらしい。
    貯金して、通信で大学行くんだってはりきってるらしい。

    妹は理由を言って駄目だと説明すれば、わがままを言わなかった。
    娘はいつまでもヤダヤダと言って泣く。
    これが普通だと言われても、妹と比べて不出来だと思ってしまう。
    せめて妹にブスとか性格が悪いとかメシマズとかのマイナスがあれば気が済むのに、それもない。
    娘は実家に預かってもらってるけど、妹とは気が合うみたいでまた辛い。

    460 :鬼女日記 2014/10/19(日) 19:03:44 ID:O0TeZjiiw
    私の両親はいわゆる毒だったと思う。
    母は虫の居所が悪いと30センチの竹製の物差しで、背中をばしばし叩く。
    高校生になって体格的に私の方が勝つまでずっとこれをやられていて、背中にはいまだに
    内出血の跡が残ってる所があるくらい。夏に水泳の授業があっても、水着になることができずにいつも休んでいた。
    父は、私に興味がなかったのか、母にどれだけ殴られようとただひたすら無視。
    父が母と離婚するまでほとんど話したことがない、いわゆるネグレクトってやつだったんだと思う。
    でも母は、顔と外面だけはよかったから、誰もそんなことには気づかなかったと思う。
    小学校の頃一番仲のいい友達に母のことを言ったけど私が悪いことをしたんじゃないの?と言われてからは誰にも言わなかった。
    それでも父の稼ぎがよかったので、私は大学まで出してもらった。
    大学の時に同じ部に入ってる人と付き合い始めて、25歳の時に結婚した。
    結婚する前にうちの両親とはつき合いたくない理由を話し、疎遠にしてもらうことで納得してもらっていた。
    結婚後は彼の両親とも同居することなく、程よい距離を保ちながらのお付き合いをさせていただき
    幸せだった。

    1558 :名無しさん@おーぷん
    自分が悪いと十分に分かっての愚痴吐きです。
    うちは夫婦共働きで超超忙しかった。だから産休もほぼ取らず
    出産後はずっと電車で数駅の実家に子供を預けてた。
    実家には両親と兄一家が敷地内別居してて、家業がある。
    だから事実上兄嫁が面倒見るの分かってた。でも甘えてた。
    兄嫁のとこにも子供がいて年が近かったし良いかなーって。
    名目上は母に預けていたので兄嫁にちゃんとお礼もしてなかった。
    実妹や両親に何度も注意されたし兄も勿論怒ってた。
    でも私達夫婦は早くまとまったお金を貯めて独立したいと思ってて
    そうしたらその時には皆に一気にお返しが出来るし、
    子供が教育が必要な時にお金があるようにしていたかった。
    子供は本当に可愛いと思ってた。

    それから10年、ようやく独立の目処が立って家も買った今、
    子供が完全に兄嫁を母親として認識してます…。
    現実は分かってるし私をお母さんとは呼ぶけど、事実上母は兄嫁。
    周りも私夫婦はネグレクトの守銭奴で、学校もPTAもご近所も病院も
    全部子供の連絡を兄嫁にするし子供も兄嫁に色んな事を話す。
    成績表も兄嫁に最初に見せて私達には何も見せてくれない。
    この間ある人にはっきり「何の為に子供産んだの?」って言われた。

    繰り返すけど子供は可愛かったし欲しかったんだよ。
    でもその為にはお金がどうしても必要で、子供の為に働いてた。
    仕事して稼ぐ事だって子育てじゃないのかよー、と妹に愚痴ったら、
    「お姉ちゃんが稼いでいる間、兄嫁さんが無償で子育てしていたんだよ
    兄嫁さんとお母さんの無料奉仕があったからお姉ちゃん達は働けた、
    つまり同じ時間でお姉ちゃん夫婦はお金を稼いで、兄嫁さんには
    無料の労働を要求したんだよ。で、お姉ちゃん一家の貯金と
    兄嫁さんと、何の関係があるの?何の関係もないよね。
    お姉ちゃん達が貯金したいなら兄嫁さんやお母さんの労働力は
    考慮しないで自分達だけでやるべきだったよ。最低」と言われた。

    返す言葉もございません。確かに、自分が稼ぐ為に兄嫁に無料奉仕を要求してた…
    幸か不幸か兄嫁は子供好きな人で特に文句をいわずに娘を預かってくれてた。
    娘に掛かる費用は私の両親が負担していた。私も食費は渡してた。
    でもその兄嫁の優しい良妻賢母っぷりに私の娘は完全にやられてしまい、
    先日私の新居(待望のマイホーム!)でサプライズで娘の誕生日準備したら
    実家にいた娘から「こっちでやる」と電話があって、そのまま実家に泊まった。
    まさに夫婦で星飛雄馬状態だったよ。

    馬鹿だったなあと思う。実家に預けてるだけじゃん、皆やってるじゃん!
    って思って身勝手な振る舞いをしてた。大人は多少許してくれたとしても
    子供は如実にそれを汲み取って成長していくよね…。
    旦那は私のせいだって怒鳴るけど、旦那なんかなんにも協力してくれなくて
    自分の実家に調子いい事ばっか言ってたくせに。

    娘、中学受験したいって言ってて兄嫁の母校が第一希望。
    あんまり偏差値高くないから私の母校にするよう言ったら
    い、や、だ、ってはっきり言われちゃったよ。あーあ。取り戻せるかなあ。

    847 :名無しさん@おーぷん
    私は就学前、幼稚園にも保育園にも行っていなかった。
    いきなり小学校に入った私はもともと内向的な性格なこともあり
    友達が出来ず、小1、2年は孤独に過ごした。
    小3になって初めて友達ができた。といっても1人だけだけど。
    相手はけっこう社交的な子だったのに、なぜか私しか友達がいなかった(この理由は今も不明)
    生まれて初めて私は「お友達の家にお呼ばれ」をした。

    衝撃だったのは、その子のご両親が笑顔で会話していたこと。
    私の父親は家で口をきくということがなくて、
    母も父にしゃべりかけることがなかった。
    物心ついた時からそうだったので、特に疑問に思ったことがなかった。
    ビックリした私は友達に「お父さん、しゃべるんだね!」と言い
    友達は不思議そうな顔をしていた。そりゃそうだ。

    その子の家で私は色んな初めての物を見た。
    テレビでしか見た事がなかった二段ベッドやシャンデリア。
    三時のおやつも初めて食べた。
    家に入るとき「おじゃまします」と言い、靴を揃えることもその子に教えてもらった。
    今思うと友達がいなかった理由がよくわかる。
    最低限の礼儀作法や、挨拶すらできなかったんだよね。ありがとうも言えなかった。

    それ以後ちょっとずつ人間らしくなって、小5のクラス替えでは普通に数人の友達ができた。
    中学でも普通にふるまえた。
    本当にあの子のおかげだと思う。
    うちの親は毒親ってわけじゃないが、自分以外どうでもいい人同士が結婚して
    家庭を作ってしまった不幸な例なんだろう。
    時々叩かれたりネ果にされて外に放り出されたりしたが、
    ごはんは食べさせてもらってたし、不潔気味だったけど服も買ってもらってた。
    でもうちの親がしてたことは、やっぱり軽度のネグレクトだったんじゃないかと。

    運良く小3で気づけたけど、めぐり合わせによってはもっと高年齢になるまで気づけなくて
    矯正不可能になっていたかもしれないと思うと、少しゾっとする。

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