鬼女日記 -鬼女・修羅場・キチママ系まとめ-

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    不憫

    636 :鬼女日記 2008/03/15(土) 01:38:57
    新郎が居ない披露宴に出席したことがあります。

    こっそり聞いた話によると、
    新郎は前日に独身最後の晩餐と称して大宴会を催し、
    泥酔して道路の真ん中で寝ていたところを
    遅れてやってきた新郎友人の車に轢かれたのだそうです。

    式場はうまいこと取り繕ってましたが
    無理にニコニコしている新婦が不憫でした。

    387 :鬼女日記 2008/10/24(金) 21:29:39 0
    トメさんを施設に入れてきた。
    「妻を施設に入れるなんて!俺も施設に入れる気か鬼嫁!」とわめくウトに
    「安心してください、ウトさんのために施設手配なんてしません。介護もしないけど」
    と、にこやかに言って帰ってきた。
    良トメさんが病に倒れ不自由な体になった時、空気だったウトは「妻の面倒は俺が見る」と定年前退職。
    そりゃ感動したさ。だから、慣れるまでの手伝いに隔日で通ったんだ。
    ウトはトメの身のまわりは献身的にやってた。食事介助も着替えも私にはさせなかった。
    ただそれだけ。料理も掃除も洗濯も丸投げしてきた。
    毎日来られるわけじゃないからと教えようとしても、トメさんを見るからと逃げる。
    それはまだいいが、介護自体が優しい虐侍の見本だった。
    左手が動くトメさんが自力で食事しようとしても「無理するな」とスプーン取り上げて口に運ぶ。
    汁物をトメさんが持ちやすいカップにしても「不自由な体で不憫だ」と持たせない。
    歩行介助があれば自力トイレできるトメさんが、夜中にウトを起こすのが気の毒と這ってトイレ行こうとして粗そう。
    それから、ウトは昼間でもトメさんにオムツあてるようになった。
    発音不明瞭なトメさんの会話補助に作った文字版は、トメさんの手の届かないところにしまわれ、ウトが会話したい時しか登場しない。
    夫に疑問を呈しても「まだ慣れないから、様子見ながらアドバイスしよう」と。
    ウトメ、夫、私、夫弟でウトメ結婚記念の食事をした時、トメさんも団欒参加したいだろうと何気無く文字版を置いた。
    「りはびりしたい、ろうじんほーむにいきたい、あたままでぼけたくない、わたしはまだうごける」
    トメさんの綴る文章に全員絶句した。
    ウトは「妻は俺に気を使ってるんだ、世話させるのが悪いと思ってるだけだ、本心は家にいたいに決まっている」と主張。
    苦労を否定されたようなものだから無理もないと言葉を選びながら説得しているうちにウトから出た言葉は
    「介護するためと会社辞めてきたのに結局施設なんて、みっともなくてできるか!絶対認めん!」
    聞いた瞬間、トメさんの瞳から生気が消えた。
    結局、見栄でやろうとしていただけか。トメに直接拝まれる身の周りの世話に熱心で、観客のいない家事やらないのはそれか。
    当分、ウトの顏も見たくない。

    464 :鬼女日記 2014/05/31(土) 02:14:38 ID:ypOvpatHH
    ちょっと長いです。修羅場まっただ中。

    前提。
    私の姉は生まれつき手に障碍がある。
    訓練すれば日常生活に支障はないけど、見た目ではっきり判るような障碍。
    私はその姉を不憫に思った両親が、姉の将来の為に作った子供。
    幼い頃から、パパママが居なくなってからは
    私ちゃんがお姉ちゃんの面倒を見るんだよって言い聞かされて育った。

    でも、障碍以外の面で、姉は何もかも私より優れてた。
    姉は美人で(仲間由紀恵似)明るくて頭も良い。
    私は地味顔でネガティブで成績は平凡。
    私は、小学生の頃から、こんなに可愛くてなんでも出来るお姉ちゃんの面倒を
    どうして私なんかが見る必要があるのかなって疑問だった。
    とはいえ、姉本人は私に優しかったし姉妹仲も悪くなかった。

    姉が26才、私が24才の頃の話。
    私は地味なりに平凡なりに、大学を出て就職して
    職場の先輩の紹介で出会った男忄生(A)と付き合って
    1年経ったあたりで結婚しましょうかって話になった。

    Aを両親に紹介した時もプチ修羅場で、両親はAの前ではニコニコしてたけど
    私が結婚してしまったら姉の将来はどうなるんだって反対された。
    でも、姉本人が大丈夫だって言ったんだ。
    姉も結婚を視野に入れて付き合っている男忄生が居るからって。
    その人は収入が安定していて穏やかで優しい良い人だって。
    そういう人が居るならって、両親もそれからは私の結婚に反対しなくなった。
    その時は心底姉に感謝したよ。

    878 :鬼女日記 2017/08/28(月) 04:32:06 ID:uxQZnpJ10.net
    私の母が姑にあげたジュースの箱を
    姑は開封もせず私の夫にあげて
    それを夫が持ち帰って来た。
    夫は、人にあげたもんは煮ようが焼こうが
    何したっていいんだって。
    母がなんだか不憫で泣いた。

    868 :鬼女日記 2015/10/10(土) 09:57:16 ID:VNH
    20数年前の話だけど…。
    私が小学2年生の頃に父に癌が見つかってね。
    年齢的に進行が早くて気付いた時にはもういろんなとこに転移しちゃっててどうしようもなくなってたみたい。
    だから両親が話し合って私達姉妹に本当の事を全て伝えて、その上で「その日が来るまでにたくさん思い出を作ろうね。」って決めたんだ。
    旅行やキャンプなんかして思い出作りをしてたんだけどまぁ順調に癌は進行していってさ。とうとう倒れちゃって病院に緊急入院。
    ありがたい事に両親は子供の私達に包み隠さず父の病状や今後なにが起こるかを伝えてくれてたから子供ながらに父のタヒに対して覚悟はしてた。
    そんな私達の姿を不憫に思ったのかな?
    看護師見習い?看護実習生?みたいな若そうな人が「大丈夫!お父さんはきっと良くなるからね!元気になるからね!」って言葉をかけてくれたんだ。
    いくら覚悟してたって言ってもやっぱり父にはまだまだ生きててほしいし元気になってほしかった私達はその言葉をそのまま信じちゃってさ。
    さすがに今なら「励ます為にそう言ってくれたんだな。」ってわかるけどねw
    パパはタヒなない!パパは病気を治して退院する!って私達は言い張って父の病室にあまり行かなくなってしまった。
    だってどうせ治って家に帰ってくるんだから!って言って姉と家の掃除ばっかりしてたなw
    そんな私達は父が危篤状態になった時も母や先生や看護師さん達が「お父さんの最後だから見守ってあげて!」って言葉に抵抗してトイレに立て籠もって、父は結局母だけに看取られて亡くなった。
    私達はアホな行動のせいで父の最後を看取ってあげる事が出来なかったんだ。
    自分達が悪いのに、私達のぶつけようのない悲しさとかを例の看護師見習いの人に向けてしまってさ。
    「パパの病気治るって言ったじゃん!嘘つき!シネ!シネ!」って大暴れ。
    その場は母が私達を宥めて帰ったけど後日先生とおばちゃん看護師さんが家に謝りに来てた。
    「無責任な事言ってごめんね。でもお父さんは最後まで頑張ったんだよ。それだけは覚えてて。」って言われてなんか落ち着いた気がする。
    葬儀やなんやかんやが落ち着いてから姉と「あの看護師見習いさんに謝りに行こう。」と決めて病院に行ったんだけどいなくなってた。
    実習が終わったからいないだけなのかもしれないけど今だに気になってる。
    あの人に「あなたに怒りをぶつけてすまなかった。」と謝りたかったなぁ。

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