事故タヒ

    26 :鬼女日記 2011/01/30(日) 21:28:36 0
    長文です。

    当時、私はエスカレーターで大学まで行ける学校の生徒だった。
    父は、仕事は自営の資格商売をしていて、趣味人だということは知っていた。
    収入は結構あったようだ。子供の頃、不自由をした記憶はない。
    朝早くに出勤する父は、夜は早めに帰宅し、夕食は必ず私と母と3人で採っていた。それは、母との約束だったらしい。
    親子の団欒と言えば夕食だけで、父は土日もろくに家にいることはなく、家にいる時は書斎に篭ってなにやらしていた。
    その筋では有名なマニアというか、市井の研究者だったらしい。
    時々、父の友人という人達が訪れて酒盛りをしていた。
    よく、私と母に手土産と言って、珍しい菓子や珍味をくれたのも覚えている。

    254 :鬼女日記 2017/07/15(土) 12:05:17 ID:Kp2jG6yQ.net
    障碍者の熱中タヒのニュースで古い話だけど思い出したので書く。

    一人息子が障碍児だったけど、それはもう二人で可愛がって育てていた
    ご夫婦がいた。「全然大変じゃない。むしろ大人になっても赤ちゃん
    みたいだから可愛い」などと仰っていて、幸せそうだった。
    お二人は子供の将来のためにとすごく倹約してお金を遺し、自分達に
    万が一のことがあったらということまで考えて万全の準備をしていた。
    ところがそのお子さんが20歳を目前にして交通事故タヒ。お二人は
    後を追うんじゃないかと心配して交替で付き添って見張らないと
    行けないほど嘆き悲しんでいた。その葬儀の後、出棺を待つ間に
    心ないことを言うアホ2人がいた。

    「まあ、障碍児だったから楽になるよな」
    「賠償金も入るし、ウハウハだろ」

    毆ってやろうと思ったらすでに胸ぐら掴まれてた。

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