余命

    664 :鬼女日記 2017/01/24(火) 12:33:57 ID:???
    義父がボケちゃってて、毎日毎日蕎麦打って我が家に持って来る。それが生きがいらしい。また蕎麦打ち職人の義父の蕎麦なら毎日食べても飽きないわ。
    初めて食べた時にあまりに美味しさぎて褒めちぎったら、それが老後の義父の生きがいになったらしい。ボケる前は月に二回持って来たくれただけだけど、
    ボケてからは毎日になったw義母は、迷惑だからやめなさい!と叱ったらしょんぼりして動かなくなっちゃったらしく、捨てちゃっていいからね、なんなら私が処分しに行きますから!って。
    でも私は嬉しいです。ここ3ヶ月毎日蕎麦三昧です。大好きなんです。
    余命4ヶ月と言われたのにまだ元気なのはこのお蕎麦のおかげなんだなぁ。

    45 :鬼女日記 2019/05/11(土) 23:47:55 0.net
    旦那のおばあちゃんが、もう長くない。
    宣告された余命は半年ほど超えてて、ここ数ヶ月は何度も病院から「危ない」と連絡があり、持ち直すというのが数回続いてる。
    今、私の持ってる喪服は10年前に買った、背中にチャックがあるタイプの物で、試しに着てみたら、ギリギリ入るレベルだが、3カ月の授乳中の子供がいるから、授乳となりと上半身を半分脱ぐ形になる。
    だから、旦那に一応「こんな時に、こんな相談して申し訳ないけど」と前置きして、上記の理由を伝えて喪服を買い直したいから、車を出して欲しいとお願いしたら「喪服って…お前…」と、めちゃくちゃ不機嫌になった。

    実家も遠くて子供預ける所もないし、休みの日に旦那に車出して貰って、試着の間、旦那に見てもらうのがベストなんだけど、機嫌治らない…
    別に婆ちゃんを心配してない訳でもないし、タヒを待ってる訳でもない。現実問題で、現状の喪服では厳しいから言ってるだけなのに。
    もう子供みたいで嫌になるわ…

    461 :鬼女日記 2016/04/23(土) 22:14:31 ID:k37
    私の縁談をぶち壊し、キチな行動で周囲全部に迷惑かけ続けてた毒親。
    絶縁してたんだけどどうやって調べたか、数年ぶりに電話かけてきた。
    病気で余命が、というので
    「やったー!いつタヒぬの?今日?明日?
    なんだー一年以上かかるのー?タヒんでからにしてよね連絡」
    ひどいと言われたので
    「だって若い時からタヒぬタヒぬ☆詐欺してたじゃん!
    やっと本当にタヒねるよ!よかったね!☆」
    「大丈夫!私にやったみたいに、何日も食べ物も水も取れないようにしてたら
    きっとすぐタヒねるよ☆」
    戻って奴隷しろと言われたので、
    手拍子しながら自分が肺炎になった10歳の時にかけられた言葉をそのままかけてやった。
    「しーね!しーね!しーね!しーね!」
    気が付いたら電話が切れてた。
    笑いながらしねしねコールしてたのに、なぜか涙でぐちゃぐちゃ。
    電話もメアドもまた全部変えた。
    住所知られたかはわかんないけど、また家探さなきゃ。

    誰にも大切に思われず、孤独にタヒんでいくのがあんたの受ける報いだよ。
    唯一の肉親に心の底からタヒねって思われたままタヒんで池。
    早く一年たたないかな。

    702 :鬼女日記 2016/11/27(日) 22:57:36 ID:3Y7
    女とラブホから出て来たら、中学生の息子と、当時70近いカーチャンが待ち構えてた時。
    人生最初で最後の「頭真っ白」って経験をした。
    灰のように燃え尽きた。
    その後、女ともどもカーチャンに近くのファミレスに引っ張り込まれて
    俺、女、カーチャン、息子の4人で「別れるのか?」「別れる」って話を付けさせられた。
    その頃、嫁の余命があと少しだったんで
    嫁には知らせずいこうということになって、
    嫁の葬式後、息子は俺の籍から離れて俺だけ追いだされた。
    今思うと自分を馬鹿だとしか思いようがない。
    女の穴に4、5回突っ込んだだけで全てを失ったんだもんな…
    息子は今やめったに会ってくれないし。
    お前らは珍棒の言うなりにならない人生を歩めよ。


    556: 名無しさん@おーぷん 2015/01/20(火)14:45:31 ID:33q
    何事もチャキチャキサバサバとこなしていく
    スーパー良トメだった義母が癌で余命宣告を受けたときに
    普段と全く同じチャキチャキした勢いで
    あっと言う間に家を整理してしまったのが衝撃だった。

    かなり衣装持ちな人だったのに最低限の洋服を残してサッパリ処分。
    小さなタンスに入院介護に適した下着類とパジャマ類を多めに入れて
    普段着は本当に最小限。
    あとお気に入りのスーツが1着。

    正月に義実家で集まったときに全員に向かって今後の指示を出すと共に
    「タンスのスーツは棺桶に入る時用だから忘れないで着せてね!」と宣言。

    遺影用の写真はコレ・葬儀屋はあそこ・でも最小限の葬式でいい・
    連絡して欲しい人リストはこちら・遺産というほどの物は義実家くらいだが
    ここは査定価格でこれくらいだから誰も住まないなら売って分けろなどなど。

    諸々の指示をサクサクと飛ばして義実家で3ヶ月一人で過ごした後に
    自分で選んだホスピスに入って2ヶ月で先に亡くなってた義父のところに旅立った。

    ホスピスに入ってから義実家に行ったら本当に何もない。
    でも誰かが泊まるくらいは出来るように最小限の布団や食器は残してある。
    ちょっと古びた旅館みたいな感じになってた。

    なんというか潔く綺麗な旅立ちで悲しむよりも先にあっけにとられた。

    最後の荷物に年代別の家族写真を見つけて初めてみんなで泣いた。
    自分も見習いたいと思う。

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