鬼女日記 -鬼女・修羅場・キチママ系まとめ-

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    子供時代

    160 :鬼女日記 2016/06/08(水) 12:03:16 0.net
    姉に大嫌いと言われて家族がバラバラになりそう

    先週末、東京大坂で働いてる姉達が地元に帰ってきてて、
    自分の就職内定祝いをやってくれた
    そのとき定年後の父が、こらからも色々と援助してやれよと姉達に言ったら
    上の姉が急に泣きだした。

    姉達のときは習い事も塾も行けず進学先も地元国立限定で、学費も自分で工面した。
    社会人になってからはも、親の援助なんてなく、
    逆に仕送りしたり車の保証人にもなったり
    支える側でしかなかった。
    なのに、俺には好きな習い事、私立大学、学費に年金支払い、遊ぶ金まで与えて差が酷すぎる。
    俺が弟でまだ学生だからこそ我慢もしてきたが、社会人になるなら
    自分の面倒は自分で見るのが当然。なぜそれを弟に教えないんだ、
    どれだけ自分は軽く見られてるんだって泣きながら言うんだよ

    ごめん長くなる

    493 :鬼女日記 2008/05/18(日) 01:16:00 0
    >>489
    「従妹ちゃんはお父さんが病気で大変なんだ!
    お前は恵まれてるんだから我慢しなさい!」

    叔母の旦那さん(私の父にとっては妹の旦那)が難病で倒れて
    闘病数年後に亡くなるまで、毎日のように父親に言われたよ。
    発病当時私は小学生、弟は幼稚園児。
    子供ながら「お父さんが病気なんて従妹ちゃん可哀想だ」と思ってたから
    母親が病院送迎要員にされて、姉弟二人きりで留守番続きでも我慢したし
    (まだ年中だった弟は本当に可哀想だった)
    2回しか着ていないワンピースを従妹にねだられても我慢してあげた。
    従妹ちゃんは習い事もできないんだぞ!と言われて、習い事も中断した。
    父は弟の入学式にも出ないくせに、従妹の入学祝には自転車を買った時も我慢した。
    叔母と従妹も最初は遠慮がちだったのに、どんどん増長していって
    おじさん他界後には「新しい靴買って~日曜日には○○に連れて行って~」と
    私の父に甘えて、そのくせ私の母は奴隷扱い、私たち姉弟は「可哀想な子、pgr」扱いだった。

    今は父も呪いが解けたようだけど、本音では許してない。
    私たち姉弟が老後の面倒を見るのは母だけ。

    296 :鬼女日記 2016/12/31(土) 22:10:16 ID:Qm9hvqIt.net
    うちの墓掃除のついでに叔父の墓を掃除した続きで、数年前に亡くなった叔父の思いで話を母親と今日した。
    自営両親が不在がちなのでよく遊んでもらった。外にも遊びに連れて行ってもらっていた。
    そこでとんでもない事を母親から知らされた。
    母親いわく、俺が実家をでたあと叔父は女性.がらみの不祥事で警察沙汰になったらしい。
    なんだかな~という気分でどんよりして、晦日の酒も抜けたころ叔父との記憶をたどって
    ぼんやりしていた。

    そしたらなぜか、この歳になって無かった記憶の断片が頭の中にしゃしゃり出てきた。
    親は何時も家にはいなかった。午後の家、田舎の無駄にでかい総二階の廊下の突き当りの奥座敷。
    そこは普段誰も近づかない。
    その部屋で入学前の俺は叔父によく遊んでもらった。叔父が追っかける、俺が逃げ回る。俺は奇声をあげている。
    叔父の手が俺の足を捕まえて、背後から俺を抱きかかえて、羽交い糸交めにされてジタバタした俺は叫んでいる。
    叔父の無精ひげが俺の頬や首筋に痛くて気持ちが悪くて嫌悪感に囚われたけど叔父と遊んでいる
    甥っ子を演じていたような記憶がある。
    気持ちの悪い頬ずりの後の記憶はまったくない。
    記憶がないんでそれ以上のことはなかったんだろう。

    思い出さなくていいことってあるよな。
    なんだかな、ますますどんよりするよ。憂鬱な年越しの晩だよ。

    881 :鬼女日記 2018/02/02(金) 16:57:49 ID:urc
    母がタヒんだことを感謝してることだな
    過保護と言うか、身支度や学校の課題やら何一つ私にやらせてくれなかった
    いつも焦ってるような顔して、紙粘土工作の課題やっても、
    お母さんやるから、あんた不器用だからで取り上げられた
    不器用でも無様でも自分でやりたかった

    成人する前に母は病気で他界した
    タヒんだ時はしばらく辛かったけど、今となっては、
    あの時タヒんでくれて良かったなあとすごい思ってる

    タヒんでなかったら、今ごろ実家住まいの引きこもりニートだと思う

    384 :鬼女日記 2015/12/26(土) 03:53:37 ID:Ljg
    テレビとかで見る幸せな家庭像のおかげで、自分の家がおかしいことには割と早い段階で気づけた
    母は姉を虐待していた

    俺は特に門限や娯楽に制限をかけられなかった。体罰もなかった。自由で穏やかな子供時代を過ごした
    進路もこちらの意思に委ねられたし、進学に伴う費用も気にしなくてよかった

    だが六つ上の姉は本当に辛い子供時代を過ごしたと思う
    平手打ち、顔面を床に叩き付けられる、髪の毛を掴まれる、馬鹿、タヒねと言われる等々、小さい時から暴力暴言のオンパレード
    姉の血を見たこともあった
    無意味な制限も多かった。門限も異様に早く定められていたし、少しでも過ぎれば野外で寝ろと言われていた
    母親の気分で怒鳴られて、食事の味付けを罵られて(何故か姉が家事を担当していた)、携帯を奪われて、布団を与えられず、姉はいつも母親の顔を窺っていた
    高校を卒業したら家事手伝いになれ、外で働いて擦れたら貰い手がなくなる、と言われて学費は出してもらえていなかった

    確かに俺は母親に大事にされた
    だが間近で苦しむ姉を直視させられる苦しみが、母から与えられた利益を上回ってしまった

    一人立ちしてから一度も家に帰らなかった。姉も帰らなかったと思う。
    「私がタヒんでから後悔しても遅い」
    「私と和解するチャンスを失うより、今謝った方が賢い」
    呪詛の手紙が届く度、姉は吐き気に苦しんで、俺は何度も姉の見舞いに行った。
    幸いにして臨床心理士の妻が嫁に同情してくれて、嫁の話を聞いてくれていた
    姉が母親の呪詛に負けて帰ってしまうのではないか、俺もいつか後悔するのだろうか
    母親がタヒぬまでの心境が修羅場だった

    母が亡くなったと聞かされて、葬式にも来なくていいと伯母に言われて、遺産の相続なども放棄すると伝えた時、俺が感じたのは後悔じゃなかった
    胸が軽くなって、温かくなった。眉間にずっと入っていた力も抜けた
    俺は確かに安堵していた

    体調を崩して不定期に休んでしまうからと短期のバイトを点々としていた姉はバイト先で正社員として雇われた
    姉の心境はわからない
    ただ、昔よりはるかに明るい顔をしていることはわかる

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