意識不明

    720 :鬼女日記 2010/01/07(木) 18:00:23 0
    全く記憶にない、悪意も悪気もないDQN返し。
    結婚して以来、非常に陰険に、見えない様にチマチマといびられてた。
    一回一回は大した事ないんだけど、積み重なると本当に辛い。
    でもウトも夫も分かってくれなくって、とにかくイライラしてた。
    そんな所に近所の雪道で県外ナンバーの車の起こしたスリップ事故に巻き込まれ、意識不明に。
    幸い命は助かったんだけど、目を覚ましたら夫から謝罪された。
    救急車で運ばれ、その時医者とか看護師さんが
    「大丈夫ですかー!」とか声をかけてたらしいんだけど、私はブツブツと返事をしていたらしい。
    そして「今日何日ですかー」「○日…」「好きな食べ物は何ですかー」「海老フライ…」
    という感じで返事をし、「嫌いな食べ物は何ですかー」と言われた時「姑」とw
    食べ物じゃないだろと思うんだけどもw
    うう~とうなりながら「イヤな人~…」「ヤダよ~…」「嫌い~…」「怖い~…」と呟き続け、
    医師も看護師も何も言えなくなったそうな。
    付添には第一発見者&通報者であるご近所さんが居てくれたんだけど、
    その人が泣きながら駆けつけてきた夫とウトメに抗議し、
    さらにその後近所さんの姑にも話が行き、近所で
    「生タヒの境をさまよってる時にまで姑を怖がる程の苛烈なイビリを受けたかわいそうな嫁子さん」
    という位置づけが確立した。
    駆けつけてきた家の両親も話を聞いて号泣し、離婚話を本人不在で勝手にすすめ、
    ウトと夫とコトメが頭を下げ、泣くトメに対して絶縁を言い渡したそうだ。
    夫もそれに追随し、退院後は誰かの助けが無いと生活できなかったため実家に戻った。
    実家に出禁を申し渡されていたトメは、電話で謝罪してきたが、
    私はイマイチ頭働かなくて「はあ…」とか言ってた感じ。
    あれから2年たつけど、一回もトメに会ってないし声も聞いてない。
    妊娠は出来るけど、出産は帝王切開らしく、負担がかかるので子無しだけど
    夫と一緒に居るのが幸せだと思う。
    事故前に「夫はこんなに優しくて大好き、トメが居なかったら完璧なのに…」
    と思ってた事が実現したw
    体にはガタは来たけど、すっごい仕返しができたし幸せに暮らしてるのでいい。

    550 :鬼女日記 2017/01/24(火) 01:40:25 0.net
    25歳の頃、繁華顔を普通に歩いていて転んだ
    「アイタタ」と思って目を開けたら病院のベッドで寝ていた
    気づいたら身体が動かないし声も出ない
    私はパニクってしまったが、どこかで「転んで気絶して病院」と思ってはいた
    看護師がきて「あ!」と一言だけ言って部屋を駆け足で去っていった
    5分もしないうちに医者や他の看護師も3人ほど駆けつけてきた
    医者の話だと私は2年意識がなく遷延性意識障害と診断され
    この病院に移されたそうです。そこは私が住むところから車で5時間かかるところでした

    私は転んで後頭部を打ち気絶
    脳内出血で手術をしたが意識戻らず
    3ヶ月目で遷延性意識障害と診断され親戚(両親は鬼籍)に延命処置か安楽タヒか選択したら
    みんなが諦めて安楽タヒを選択したら妹だけが猛反対し延命処置になった
    これを聞いた時が自分の中の修羅場だった

    そして2年間妹が婚約者との縁談を断り私の介護をし続けていた
    妹は会社を辞めこの病院の食堂と清掃婦として働いていた
    慰謝からはなしを聞いて妹が駆けつけてきて手を握って「よかった!よかった!」と
    何度も囁いていた
    それからリハビリ受けて半年で退院
    生活に多少師匠はあるが一人で生活できるレベルにはなっていた
    私は妹の元婚約者のところに謝罪しに行った
    元婚約者は「元気になって良かったです」と言うと
    そのあと信じられない事を言った
    「もう一度妹さんにプロポーズします。妹さんを僕に下さい」と
    婚約者はずっと妹を待っていた。影でも妹にわからないように助けていた

    私は即答で「もちろんだ!妹をよろしくお願いします」と返した
    気づいたら号泣していた

    そして先月妹が式を挙げた
    妹は世界一綺麗な花嫁になった

    624 :鬼女日記 2017/12/07(木) 09:55:55 ID:qNj
    人からしたら大した修羅場ではないのだろうけど、個人的にはタヒにかけたので修羅場。

    私はアナフィラキシー持ちなんだけれど、学生時代に突然発症。
    最近はアレルギーというのがメジャーになって、アレルゲンの無い食べ物とか、飲食店のメニューにもアレルゲン表示されるようになったけれど、とにかく私のときはそんなのがなく、アレルギーっていうのもあまりなかった。
    ド田舎だったので、花粉症すらもいなかった。(花粉症になったら一巻の終わりみたいな田舎)

    その日は普通に部活をしていて、校内周辺をランニングしていた。
    途中、なんだか指の間に痒みを感じたのだけど、血行が良くなっただけなのかもと気にもせず走っていた。
    ランニングが終わった後、小休憩があった時に先輩に「ちょっと顔がヤバイよ!」と言われた。
    確かに気持ちが悪くて、今にも吐きそうだった。
    先輩に顔が腫れてる、顔色が悪い、唇が倍くらいに腫れ上がってると言われ、先生を呼んでくるから木陰で休んでろと言われた。
    もうその時には吐き気がすごくて、視界も狭くて黒いフィルターがかかってる感じ。
    この時に知ったけれど、意識不明になるのって本人的には眠くなるんだよね。
    「あーダメだ眠い。寝よう」っていうのが我慢できなくて、自然と瞼が落ちる感じ。
    私は嘔吐をしながら寝た。

    その後は先生数人に担架で運ばれ、保健室へ。
    本当に当時は先生たちもアレルギーの知識もなかったし、持病があるタイプでもなかったから先生たちもてんてこ舞い。
    どうするかってなった時、生徒の一大事を知らされて様子を見に来た教頭先生が、私の顔を見た瞬間「救急車を早く呼びなさい」と叫んだらしい。
    その時、私は運悪く喉の腔内まで腫れ上がっていて、先生たちが対応に追われている中、静かに呼吸が止まっていたらしい。

    教頭先生が私の顎を上げて、なんとか気道を確保しようとして、わずかに呼吸を確認している間に救急車が到着。
    なんとなく親が来たのも分かったし、救急隊員の人に声をかけられているも聞こえていた。
    病院で点滴をしたら、あっという間に意識を取り戻して回復をしたから大したことなかったのかも。

    けれど医者にはアナフィラキシーショックと診断され、学校給食で一週間牛乳は飲まないで下さい、あと血液検査結果が出るまで運動はしないでくださいと言われた。
    その日は突然の入院だったので入院食もなく、一晩点滴で過ごしたんだけれど心配で親が見舞いに来た時に目の前でモスバーガーを食べらた時も合わせてセットで修羅場w
    もうお腹の中空っぽだから、すごく親が恨めしかったよ。

    そして一週間後の血液検査結果でアレルゲンが分かったんだけれど、医者に「あと15分遅れていたら、助からなかった。教頭先生の迅速な対応に感謝してください」と言われたのが本当に修羅場だった。

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