鬼女日記 -鬼女・修羅場・キチママ系まとめ-

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    608 :鬼女日記 2013/10/19(土) 01:45:02 0
    ガチで義兄が母を杀殳しかけたっていう修羅場。

    事件の原因は母の強すぎる管理願望。
    部屋の中を毎日チェックするのは当たり前。
    義兄の友人宅に頻繁に電話をかけて普段の様子を調べたり、車のメーター見てどこに行ったか見当つけたりしたらしい。
    出したゴミも漁るし洗濯籠から服を取って「香水の匂いだ!」とかもやってた、というか俺が見た、っつーか俺もされてた。
    結婚を考えてるって彼女さん(現義兄嫁)を連れてきた後は彼女さんの半ストーカーにもなったりして完全に頭おかしかったわ。
    彼女さんが職場の友人さんと食事してる写真を撮ってきてキーキー喚いたりが当時の日常。

    当然義兄はカンカンに怒って毎日母と喧嘩、ときおり灰皿が宙を舞ったりした(俺の顔面から数センチを掠めた事があり、以来でかい灰皿が怖い)
    俺は必タヒになって母を止めようとしたけど当時中学生。
    出来る事にも限りがあったし、昼間は母完全フリー。
    しかも何故か義兄に怒られれば怒られる程行動がエスカレート。
    ついには義兄をノイローゼに追い込んで寝込みを包丁で切りつけられるに至った。
    物音に気付いて駆けつけた俺が止めなかったら本当にタヒんでたと思う。

    後これは義兄ではなく俺に対する追い打ちになるけど、
    母の一連の行動の根本は俺の幼少期にあった、と後日判明。

    俺が小学校前の時、両親は忙しくて育児を祖父母に丸投げしてたらしい。
    その結果俺が寂しさから失語症になり、回復後も長期間どもりが残ってたそうな、俺自身には全く記憶無いけど。
    で、母の中では「子供は私自身が守らないといけない!」となり、その後父が事故で亡くなって猛加速しちゃった、と。
    間に入ってもらった祖父母からそう聞かされて「原因の一端俺かよ…」と。
    しばらく義兄に合わせる顔なかったわ。

    数年を経て管理再発した母から、義兄の支援の下逃げ出せた記念に。
    お粗末様でした。

    あ、上で入れ忘れたけど両親は再婚同士で俺と義兄は血がつながってません。
    干支一回り離れてたせいか可愛がって貰えた+対母同盟で物凄く仲は良いけど。

    556 :鬼女日記 2011/04/20(水) 08:27:48 ID:spgHjove
    俺も物心付いたときには父親がいなかったが、何度か父親らしい人から小遣いを貰った記憶がある。
    罪悪感があり、当時は母には言えなかった。
    高校生くらいになってから、そのことを話すと、母から「お前の父さんだと思うよ」と告げられた。
    その後、父がタヒに保険受取人が俺だった事もあり、貯金が4,000万円くらいある。
    もちろんというか、俺も社会人になっているので母や姉には内緒にしている。

    149 :鬼女日記 2014/07/07(月) 10:47:19 ID:j+/cgfwU0.net
    昨日結婚記念日だった。

    久々に実家に帰省して、子供は母が見ててくれるとの事だったので、
    主人とランチに行こうという事で、以前から行ってみたかったお店を予約した。
    お店は昼間1000円前後とリーズナブル。予約制らしく席のみ予約。
    子供が生まれてから2人だけで出掛けるのもはじめてだったかも。
    嬉しかったし、楽しみにしてた。

    出かけて間もなく実家の父から連絡。母が体調崩して倒れた。
    慌てて帰って、日曜日やってる病院を探して病院へ連れて行った。
    病気とは無縁の母だったから凄く焦った。。心臓バクバクしてしまった。
    父は足腰悪くて出歩けないから、子供を父に任せて病院に行って、
    検査やら何やらで帰宅したのが、夕方。
    慌てて家を出た為、携帯を忘れてしまったのが最悪だった。

    店から何度も着信があって、機械がいじれない父が出ようとして
    なんかボタンを押して、ご丁寧に着信拒否にしてしまったよう。。
    店側らしき人の携帯番号から私の携帯の電話番号へSMSで、
    「営業妨害 今日中に連絡しなければ警察に訴える」旨の連絡がきてた。。

    955 :名無しさん@おーぷん
    世の中狂ってる
    親父が会社の人を家に連れてきた
    そこに塾を終えた私帰宅
    ほどよく出来上がった親父の会社の人
    私はアルコール一切ダメなので酒臭い空間から逃げようとするが
    家の作り的に会社の人の真後ろを通らなければ自室に行けない
    挨拶だけしてそっと通り抜けようとしたら、いきなり手を掴まれた
    「制服可愛いねぇ、胸おっきいやんか」と50も過ぎたおっさんに胸鷲掴みにされた
    ブラウス一枚の夏の制服の上からおっさんに胸を揉まれて、頭真っ白になって反射的に空いてる方の手で顔面に一発入れた
    相手は椅子から転げ落ちて頭打って鼻血吹いた
    パニックになってたから追い討ちでカバンで殴ってしまった
    そのまま救急車を呼んで搬送

    病院では「警察呼べ!こんの○○○○が!」と口汚く私を罵倒してたらしい
    すべてを見てた親父と何も知らない母に激怒されて病院に謝りにいけと言われたけど部屋に篭城して拒否した
    親父が居なくなったときに母に全てを話したら母だけは私の気持ちを理解してくれて何度も謝りながら抱きしめてくれた
    その日から親父vs母の攻防が始まった
    母とは警察に行ったが、私がセクハラをされた証拠はなく、攻撃した証拠はあるし、自宅での出来事だから私の罪が問われるだけだと言われた
    親父は私がしでかしたことの責任をとるために実質首になった
    会社の人は私に恨み言の手紙をよこしたし、なんの責任も問われなかった
    母は離婚を求めてたが親父は認めず私に暴力を振るうので、母方の全く知らない親戚の家に預けられることになった
    すごく失礼なことだとわかっていても、その家は父親が丁度セクハラしてきた会社の人と同年代で、さらに私より年上の三人兄弟がいて、心のどこかでずっとストレスを抱えてた
    禿げた
    円形脱毛症、しかも頭頂部の分け目の部分
    自分で気づけなくて、転校した先のよく知らない学校で男子からいじめられて知った
    預けられた身で引きこもりにもなれず、放置子状態で外を徘徊する日が続いた
    そんな問題行動が預けられた先で問題となり、祖父母の家(限界集落で近くに学校なし)に預けられた
    祖父母は優しかったけど、何もないところでいきなり動悸がしたり、嗚咽漏らしながら泣いてしまったりとしばらくは苦しかった
    近所の人から冷たい言葉をかけられるのも辛かった
    離婚して迎えに来てくれた母が私を見て子供みたいに声を上げて泣いた姿を見て、やっと終わったんだと心の中にあった重い石がストンとお腹に落ちていった

    そこから母との二人暮しが始まったけど、一年半という勉強のブランクで苦労した
    しんどいとたまにお腹に落ちた石がゴロゴロ転がって腹痛を起こして吐くようになってしまっけど
    それでもなんとか頑張って、底辺かもしれないけど高校を出て働いてる
    大学も行きたかったな、馬鹿すぎて無理だけど

    983 :名無しさん@HOME 2015/02/20(金) 17:45:17.80 0.net
    叔父と母が喧嘩した時
    うちは多くの土地と、ある程度の発言力を持った富裕農家、地元では良く豪農と揶揄される。
    家名を大事にする家柄で世間体と言うものも相当に気にする。まあ典型的な自惚れが過ぎた自称名家。

    自分はそのせいで幼い頃から生け花、茶道、習字、琴などの家庭教師を充てがわれ、同年代の子と遊ぶことすら阻まれて過ごしてきた。
    身に付いて良かったと思う技能もあると今では実感出来るけれども幼い頃は窮屈でしょうがなかった。

    そんな息苦しい家庭環境の中で叔父と過ごす時間は唯一の楽しみだった。

    叔父は科学者で植物学、地質学、天文学など専門外の知識にも明るく、わからないことはなんでも答えてくれる博識な人だった。
    一方でエキセントリックな面も多分にあり、教授の論文を真っ向から否定し、ドロップキックを浴びせ学会から追放されたこともある。
    肩書きや家柄などの俗物と言われるものに執着しないボヘミアンな叔父に自分は憧れていた

    小学3年生の夏休み。家出したいと叔父に言ったら叔父は自分を連れ出してくれた

    82 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/
    気団に書こうかと思ったけど女性の意見も聞きたいからこっちに書きます。
    俺の母親が俺の嫁の外見に嫉妬してて、そのとばっちりを兄嫁が受けてる。
    俺は兄俺妹の三人兄弟でみんな既婚。
    妹はブスではないけど愛嬌があるからお世辞で可愛いって言ってもらえるような普通顔。兄嫁さんは言っちゃ悪いがブス。
    俺の嫁はさすがに芸能人に比べたら見劣りするけど一般人としては十分美人。
    母はどうやら、妹より嫁のほうが美人なのが気に食わんらしい。
    かといってそれを嫁に直接言うことも出来ないもんだから、何故か兄嫁さんの外見を褒めまくって相対的に嫁を貶めている。
    例えば皆で食事してるときに「兄嫁さんは本当に綺麗ね!この女性陣の中じゃ一番じゃないかしら!」って言ったり、皆の前で兄嫁にだけ服や宝石を買ってプレゼントしたりする。
    ボサボサ髪なのに「惚れ惚れするような綺麗な髪ね!」って言って、短足なのに「モデルみたいに長い脚!」と褒める。
    どうも嫁の妬ましい部分に関して兄嫁さんを褒めるようにしているらしい。
    嫁は母の悪意に気付いてるけどこういう苛めは子供の頃から慣れっこみたい。
    嫁曰く問題は兄嫁さんの方らしく、「白々しいお世辞は傷つく。ないとは思うけど、もし真に受けて勘違いしてしまったらもっと気の毒。」と言っていた。
    俺としては嫁が傷ついてないなら正直どうでも良いんだけど、母のやってることは見苦しいし兄嫁が可哀想だとも思う。
    裏で母に注意したら「兄嫁さんのことブスだって言うの!?」ってキレられるし、兄に相談しても「お世辞でも褒められて嬉しいだろうし良いじゃん」とか言って話にならん。

    419 :名無しさん@おーぷん
    すみません、相談お願いします

    メシマズの母親がやたら手料理を振る舞いたがるのをどうにかして止めたい

    前提だけ簡潔に書きます

    父親は鬼籍
    私は独身で、母親と既婚の妹夫婦と暮らしてます
    母親が壮絶なメシマズ
    料理はダシを取らない
    食材の下処理を一切しないので野菜はエグい、肉魚は生臭い
    反面教師で私は社会人になってから料理教室に通って平均以上のレベル
    妹に至っては調理師免許も栄養士免許も取得(現在は子供がいるので専業主婦)

    用事があってちょっと家に来た人々に母親が全力で手料理を振る舞い困ってます

    私が自宅で仕事をしてるので、誰かが来ると料理を始め
    仕事のアポで来た取引先の人に声をかけ
    かなりしつこく誘ってキッチンに誘導して食べさせる
    妻子があって夕食が準備してあろう人も強引に食べさせる

    同居の妹に旅行のお土産を持って来てくれた妹の友人を強引に家に上げて
    悲劇的な料理を食べさせる

    709 :名無しさん@おーぷん
    そもそものきっかけは昔だけど、未だにモヤモヤが残っている修羅場

    小2の頃、夜中に次弟(当時5歳)に起こされて目が覚めた
    いわく「末弟(当時2歳)が泣いている。母を探したががいない」とのこと
    (当時我が家は私だけが自室で寝て、母と弟たちは一緒に寝ていた)
    弟たちの寝室に行ってみたが確かにいない、そして末弟は泣いている
    当時母は携帯なんて持ってなかった
    私も次弟も母に捨てられたんじゃないかとすごく不安だったけど、
    その時は必タヒに末弟をあやしていた

    結局母が帰ってきたのはそれから2時間以上経ってから
    3時か4時くらいだったと思う
    弟たちは疲れて寝てしまったけど、私は全く眠れなかった
    どういうことかと母に問い詰めたら、
    夜中に仕事に出ていたということだった
    (といってもいわゆるお水じゃなく、弁当屋の仕込み)

    私はそりゃぁもう母を責めた
    すごく不安だったこと、さびしかったこと
    泣いて泣いてうったえた
    母は「ごめんね」と謝ってくれたけれど、
    結局その後1年くらいその生活は続いた
    幸いにも弟たちは「お母さんはお仕事をしている」と知ったら
    きちんと理解し、末弟の夜泣きもその日限りだった
    1年後には母は昼間の仕事に就き、弟たちは保育園に入った

    それから少し経って、私が中学生になる時に両親が離婚
    母から「あの時夜働いていたのは生活費を稼ぐため」と説明された
    なんでも、当時単身赴任だった父がほとんど生活費を入れなかったらしい
    すごく反省したし母に申し訳なかった
    私はその時母に「反省のしるしとして今後お小遣いは要らない」と言って、
    本当に高校卒業までお小遣いをもらわなかった
    どうしても必要な時は「こういう理由でいくら必要」と伝えればくれたし、
    友達もいなかったから別にお金がなくても困らなかった
    欲しいゲームがあった時は年に数回入る祖父母からの臨時収入を使い、
    自分の服はしまむらよりも安い服屋が近所にあったからそこのセールで買った
    高校を卒業し就職してからも給料はほとんど家に入れて、
    私が自由に使えるお金は月2000円だった

    …のだけど、父有責だと思っていた両親の離婚が
    実は母の不倫が原因だったと最近になって偶然知ってしまった
    不倫相手とは父の単身赴任直後、
    具体的にはあの「弁当屋で働いていた」という時期から繋がっていたらしい
    激務だった父に子ども3人を見ることはできないということになり親権は母へ
    私たちの養育費は慰謝料と相杀殳ということになったらしい

    弟たちはたぶんこのことを知らないと思う、少なくとも私は話していない
    母はあの時仕事なんかせず不倫相手と会っていたんじゃないか、
    だとすると私は母のせいでいらぬ我慢をし続けていたんじゃないかと思うと心が修羅場

    825 :名無しさん@おーぷん
    父一人っ子不妊、母二人兄弟不妊(叔父は独身で完全不妊)
    それで長い長い不妊治療の末ようやく生まれた一粒種の私にこの間不妊が発覚した
    可能性が限りなく低いってレベルじゃない、医学的に不可能なタイプ
    しかも遺伝性らしくて実家がお通夜モードから帰ってこない

    私は不妊治療で出来た子供だったせいか、これまで母や親戚に
    子供を産むことについてプレッシャーをかけられながら育てられた

    どんなに苦労して私を産んだのか、子育てはどれだけ楽しかったかのか
    父方母方両方の祖父母も、子供ができない叔父もどれほど私の誕生に期待していたか
    生まれて嬉しかったか
    そういう話を生まれたときから耳にタコができるほど聞かせ続けてきた

    その自覚があるらしく、今回のことに私自身は実感がわかないというか、
    そこまで深刻にとらえてないのに、今は逆に腫れもの扱いになってしまった

    みんなすごく優しいのがキツイし、特に母親が陰で自分のせいだって泣いてるのがもうね

    「そこまで私はかわいそうじゃないよ」と言ってみたら
    「あんたは若いから子供が持てないってことがどれだけ辛いかわからないんだ」
    って怒鳴られて、言った言葉のまずさに気づいたのか
    「違う、違うの」って良く分からない否定だけしてまた泣かれた

    あー、お盆家に帰りたくない

    956 :名無しさん@おーぷん
    母の初盆だったので帰省したんだけど、仏壇に何も備えられてないし、お盆の飾り付けも何もなくて、兄嫁にどういうことか聞いた。
    「あなたにとっては優しいお母さんだったかもしれないけど、私にとってはクソババア。お母さんだって、私にまともに供養してもらえるなんて思ってない。あなたは嫁に行ったんだから、口出し無用。」
    と言われた。
    兄に聞いても、母が生前兄嫁と仲が悪かったことは認めたけど、それを放置していたことで兄嫁に責められ、「下手なこと言ったら離婚されるから。」と何も言えずにいる。
    父は何年も病院に入院中でこのことは何も知らないのが救い。
    母が嫁いびりしていたことはショックだし、兄嫁を助けられなかったのは申し訳ないけど、親戚も来るお盆くらいはやって欲しかった。
    私の義母に相談したら、永代供養をお願いするほかないと言われたのでそうするつもり。
    費用は兄と折半することも提案したけど、兄が渋っている。
    お盆中に来た親戚がお寺に相談に行き、そこの住職に「あなたが地獄に落ちることのないよう、供養はしてあげなさい」と兄嫁に言ってもらったらしいけど、
    「私が地獄に落ちるならば母もいるはず。彼女よりは酷くないはずだから、あの世で笑ってやります。」
    と言い返したそう。
    私がまだ実家にいた時は優しい人だったのに、こんなに人を変えてしまうなんて、母は何をやったんだろう。
    地域性もあってやれることが限られてて、リアルでは愚痴れないのでここで吐き出し。

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