祖母
【修羅場】弟「従兄娘がクローゼット開けたがる」私『いいよ』でも両親寝室のタンスは許可してない。でも色鮮やかな生地にヒャッハー状態になったハンクラ好きの従兄娘が?
826 :鬼女日記 2013/09/30(月) 18:23:13 0
祖母-母-私と受け継いできた着物を、父方従兄の娘(小三)が切り刻んだ。
学校だか学童だかで裁縫を教えてもらって以来、ハンクラにハマって、従兄宅にある布地を
ハンカチから服に至るまで切り刻んで「お財布ー」「小物入れー」と作っていたらしい。
このことは父含め家族全員知らなかった。
で、家に従兄一家が遊びに来た時、いつも通り好きに遊ばせていた。私と母、従兄嫁は
つまみの用意や従兄の下の子(㲗児)の世話で忙しかったので、弟に従兄娘の相手を頼んでいた。
弟が「従兄娘がクローゼット開けたがる」と言うので、単に服を見たいだけだろうと思って
「いいよ」と言ったのが間違いだった。
私のクローゼットは開けていいと言ったが、両親寝室のタンスまでは許可してない。
なのに、弟がトイレに行ってる隙に寝室に入り込み、桐タンスから着物を取り出し、色鮮やかな生地に
ヒャッハー状態になってザクギリorz
その間、弟は「従兄娘ちゃんはどこだ」と家の中を探し回っていた。
曾祖母の形見の着物とかも切られてて、しかも本人は「綺麗だからあたしが作り直してあげるの」で
悪いことをしたと自覚がなくて、従兄も「まあ所詮着物だしさー」だったのを、従兄嫁が血相変えて
娘を引っぱたいてギャン泣き、従兄ポカーンの後嫁に「娘に手を上げるなんてお前!」にうちの父が
「うちの嫁と娘の着物を切り刻んでおいてお前!」と怒りの連鎖反応。
その後、駄目になった着物代は伯父を通じて従兄夫婦から支払われたが、これが原因で従兄一家は
相当修羅場だったらしい。
うちも弟が「お前がちゃんと見てなかったから!」と責められて修羅場だった。
学校だか学童だかで裁縫を教えてもらって以来、ハンクラにハマって、従兄宅にある布地を
ハンカチから服に至るまで切り刻んで「お財布ー」「小物入れー」と作っていたらしい。
このことは父含め家族全員知らなかった。
で、家に従兄一家が遊びに来た時、いつも通り好きに遊ばせていた。私と母、従兄嫁は
つまみの用意や従兄の下の子(㲗児)の世話で忙しかったので、弟に従兄娘の相手を頼んでいた。
弟が「従兄娘がクローゼット開けたがる」と言うので、単に服を見たいだけだろうと思って
「いいよ」と言ったのが間違いだった。
私のクローゼットは開けていいと言ったが、両親寝室のタンスまでは許可してない。
なのに、弟がトイレに行ってる隙に寝室に入り込み、桐タンスから着物を取り出し、色鮮やかな生地に
ヒャッハー状態になってザクギリorz
その間、弟は「従兄娘ちゃんはどこだ」と家の中を探し回っていた。
曾祖母の形見の着物とかも切られてて、しかも本人は「綺麗だからあたしが作り直してあげるの」で
悪いことをしたと自覚がなくて、従兄も「まあ所詮着物だしさー」だったのを、従兄嫁が血相変えて
娘を引っぱたいてギャン泣き、従兄ポカーンの後嫁に「娘に手を上げるなんてお前!」にうちの父が
「うちの嫁と娘の着物を切り刻んでおいてお前!」と怒りの連鎖反応。
その後、駄目になった着物代は伯父を通じて従兄夫婦から支払われたが、これが原因で従兄一家は
相当修羅場だったらしい。
うちも弟が「お前がちゃんと見てなかったから!」と責められて修羅場だった。
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693 :鬼女日記 2011/08/05(金) 18:06:16 0
子どもの頃のおぼろな記憶での修羅場。
私が物心ついてから幼稚園の年長クラスくらいまで、うちはやたら大家族だった。
父と母と兄と私と、Aおじおば一家と、Bおじおば一家と、Cおじおば一家と、祖母の17~18人家族。
私は幼稚園に通ってたけど子どもたちの中には珍しい方だった。
子どもたちの中で一番歳上だったのがA姉。
何をするにもA姉がリーダー格だった。
ちなみに小学校高学年くらいだったと思うけどあまり学校には行ってなかった。
私たちは他の家の子と遊ぶことがほとんどなくて
A姉の言うことが絶対!みたいな感じだった。
幼稚園や小学校に行ってない子たちは特にそうだった。
うちで一番えらいのは祖母で、
子どもたちの中で一番えらいのはA姉、っていう図式ががっちりできていた。
私が物心ついてから幼稚園の年長クラスくらいまで、うちはやたら大家族だった。
父と母と兄と私と、Aおじおば一家と、Bおじおば一家と、Cおじおば一家と、祖母の17~18人家族。
私は幼稚園に通ってたけど子どもたちの中には珍しい方だった。
子どもたちの中で一番歳上だったのがA姉。
何をするにもA姉がリーダー格だった。
ちなみに小学校高学年くらいだったと思うけどあまり学校には行ってなかった。
私たちは他の家の子と遊ぶことがほとんどなくて
A姉の言うことが絶対!みたいな感じだった。
幼稚園や小学校に行ってない子たちは特にそうだった。
うちで一番えらいのは祖母で、
子どもたちの中で一番えらいのはA姉、っていう図式ががっちりできていた。
【黒い過去】留学先で妊娠した。ゴタゴタのまま出産して、育児に耐えきれず子供放棄して、日本に逃げ帰った。両親も知らない秘密。そういえば祖母も昔日本で同じことを・・・
【相続】高校生の時、母が癌で急逝。身を寄せた祖母も2年後帰らぬ人に・・・葬式準備中、亡き母に兄(叔父)がいる事を知った。葬式の席で叔父「遺産、放棄して俺にくれるよな?」
114 :鬼女日記 2015/12/10(木) 01:37:31 ID:ucR
母親が、俺が高校生の時に急に癌で天国へ旅立った。
受験控えてた時期だったけどなんとか大学受験は合格。
でも家から遠かったし母方の祖母に甘えて祖母の家に住ませてもらってた。
それから2年くらいして、祖母は介護が全くいらないくらい元気だったのに母親と同じように癌で他界。
お葬式の準備とかをしてる時に初めて母に兄がいることを知った。
親戚の話ではDⅤ&家の金盗みの糞兄だったらしく勝手にでていったそうだ。
一応母兄にも亡くなったこととお葬式のことを知らせた。
でお葬式の日、兄が俺に話しかけにきて一言
「遺産、放棄して俺にくれるよな?」
ここで代襲相続のことに気付いて俺は
「遺書さがさないといけませんね~」
って軽く流しといた。
受験控えてた時期だったけどなんとか大学受験は合格。
でも家から遠かったし母方の祖母に甘えて祖母の家に住ませてもらってた。
それから2年くらいして、祖母は介護が全くいらないくらい元気だったのに母親と同じように癌で他界。
お葬式の準備とかをしてる時に初めて母に兄がいることを知った。
親戚の話ではDⅤ&家の金盗みの糞兄だったらしく勝手にでていったそうだ。
一応母兄にも亡くなったこととお葬式のことを知らせた。
でお葬式の日、兄が俺に話しかけにきて一言
「遺産、放棄して俺にくれるよな?」
ここで代襲相続のことに気付いて俺は
「遺書さがさないといけませんね~」
って軽く流しといた。
行政書士から手紙届き連絡→「祖母の預貯金と土地の所有権を全て祖父に移す。貴方の同意がいるので権限移動書に同意の印を押して欲しい。」詳細説明無しなので書類要求したら?
355 :鬼女日記 2015/12/22(火) 18:28:48 0.net
半年程前にすこし書い内容ですが、進展があったので覚書かねて
祖母(5年前に他界、口座凍結中)と
祖父(存命、現在96歳)の遺産の相続について進行中
私、代襲相続者、他の相続人は息子となる叔父ひとり
私としては叔父が「全財産自分が継ぎたい」
と言うのであればそうしてもらう予定。(介護をしてらしたので)
半年前、行政書士から突然
「5年前に亡くなった祖母の遺産の相続について連絡があるので電話をくれ」 とだけ書いた書類が届く。
電話をすると 「祖母の預貯金と土地の所有権を全て祖父に移す事になった
貴方の同意がいるので権限移動書に同意の印を押して欲しい。」 と言われ、他は一切語らず。
聞くも何も詳細を話さないので、とりあえず書類をみて考えるから詳細を送って欲しいと伝える。
祖母(5年前に他界、口座凍結中)と
祖父(存命、現在96歳)の遺産の相続について進行中
私、代襲相続者、他の相続人は息子となる叔父ひとり
私としては叔父が「全財産自分が継ぎたい」
と言うのであればそうしてもらう予定。(介護をしてらしたので)
半年前、行政書士から突然
「5年前に亡くなった祖母の遺産の相続について連絡があるので電話をくれ」 とだけ書いた書類が届く。
電話をすると 「祖母の預貯金と土地の所有権を全て祖父に移す事になった
貴方の同意がいるので権限移動書に同意の印を押して欲しい。」 と言われ、他は一切語らず。
聞くも何も詳細を話さないので、とりあえず書類をみて考えるから詳細を送って欲しいと伝える。
親権で揉めてる。妻「お義母さんに娘を丸投げして顔も見ない生活させるのが目に見えている。」片親より、母親代わりの祖母と実父がいる方が断然いい!→スレ民「かなうわけないよ」
155 :鬼女日記 2014/12/30(火) 14:21:59 ID:5VK
相談というのか質問というのかわからないのですが、男忄生女忄生両方の率直な意見を聞かせていただきたいです。
妻と離婚する事になりました。
離婚自体はお互い同意しているのですが親権で楺めています。
妻は「あなたはお義母さんに娘を丸投げして顔も見ない生活させるのが目に見えている。」と言い、職場にも連れて行くことの出来る自分が引き取ると頑なです。
私としては実家も既に無く完全な片親になってしまう妻側よりも、母親になれる祖母(私の母です)と実の父親である私がいる私側の方が娘の今後を考えると断然いいのでは?と考えています。
また、34歳でバツイチの女忄生が子連れだと再婚(出来るのか謎ですが)に不利なのだから、妻の為にも娘の親権は私が持ちたいのです。
それに妻は女忄生ですから、産もうと思えばいくらでも子供を産む事が出来るのだから、娘の事は忘れて自分の幸せを探してほしいというのが私の望みです。
妻にはどういった説明をすれば私の思いを理解して親権を渡してくれるのでしょうか?
妻と離婚する事になりました。
離婚自体はお互い同意しているのですが親権で楺めています。
妻は「あなたはお義母さんに娘を丸投げして顔も見ない生活させるのが目に見えている。」と言い、職場にも連れて行くことの出来る自分が引き取ると頑なです。
私としては実家も既に無く完全な片親になってしまう妻側よりも、母親になれる祖母(私の母です)と実の父親である私がいる私側の方が娘の今後を考えると断然いいのでは?と考えています。
また、34歳でバツイチの女忄生が子連れだと再婚(出来るのか謎ですが)に不利なのだから、妻の為にも娘の親権は私が持ちたいのです。
それに妻は女忄生ですから、産もうと思えばいくらでも子供を産む事が出来るのだから、娘の事は忘れて自分の幸せを探してほしいというのが私の望みです。
妻にはどういった説明をすれば私の思いを理解して親権を渡してくれるのでしょうか?
中学時代学年中から虐めの標的にされた。田舎を捨て状況、ジム通いにバンドも組んだ。ある日夢に祖母が出てきてあんたに悔しい思いさせたの誰だ?分かった。殺したいか?」
916 :鬼女日記 2013/07/13(土) 13:42:26 ID:xnqtBwai
スーッとするかわからないし
オカルト要素もちょっとあるかもしれませんが
もう20年以上前のこと。
中学時代3年間毎日のように相当いじめられてた。
もう、学年中のヤツら全員にじゃないかというほど。
たいして喧嘩強くないやつも俺には態度強い。
後輩とかにも「こいつ毆っていいよw」とか言って
後輩でも調子に乗るやつもいるから
後輩に毆られてる俺見てケラケラ笑ってたり
女子にも廊下で背中に蹴り入れられたりしてた。
暴カ、恐喝は当たり前。
試験なんかも答案用紙数人分が回ってきて
全員分のを書いてたら自分の分まで間に合わない。
間違ってたらボコボコにされてた。
俺の分は腰巾着役のやつにぐっちゃぐちゃに書かれて提出。
教師たちもやる気なし軍団だったので
当たらず障らず。
反抗できない自分にも腹が立ってた。
登校拒否する事すら出来なかった。
オカルト要素もちょっとあるかもしれませんが
もう20年以上前のこと。
中学時代3年間毎日のように相当いじめられてた。
もう、学年中のヤツら全員にじゃないかというほど。
たいして喧嘩強くないやつも俺には態度強い。
後輩とかにも「こいつ毆っていいよw」とか言って
後輩でも調子に乗るやつもいるから
後輩に毆られてる俺見てケラケラ笑ってたり
女子にも廊下で背中に蹴り入れられたりしてた。
暴カ、恐喝は当たり前。
試験なんかも答案用紙数人分が回ってきて
全員分のを書いてたら自分の分まで間に合わない。
間違ってたらボコボコにされてた。
俺の分は腰巾着役のやつにぐっちゃぐちゃに書かれて提出。
教師たちもやる気なし軍団だったので
当たらず障らず。
反抗できない自分にも腹が立ってた。
登校拒否する事すら出来なかった。
【壮絶】父は育児放棄、祖母から虐侍。6歳の時タヒんだと聞かされていた母が現れた!母「辛かったね。ごめんね。一緒に帰ろう」祖母『その子はうちの家政婦だ!』出生の秘密が・・・
244 :鬼女日記 2014/06/29(日) 08:13:49 0.net
タヒんだと聞かされた母が迎えに来たとき
幼少期は父と祖母に育てられたが、父は私を育児放棄して祖母に任せっきりで碌に会話をした覚えもない。祖母は私を虐侍していた。毎日毆られ、蹴られた。食事は一日に一回で茶碗一杯のご飯だけの時も良くあった。掃除、洗濯等の家事をさせられていたのは良く覚えている。
6歳の時、タヒんだと聞かされていた母が現れ、私を迎えにきた
祖母と母は取っ組み合いの喧嘩をしていた。父は傍観を決め込んでいた。ビール瓶で頭を毆られ血だらけになっても祖母と言い争っていた母は印象的で良く覚えている
結局父は親権を放棄して、以降私は母の元で育てられた。
幼少期は父と祖母に育てられたが、父は私を育児放棄して祖母に任せっきりで碌に会話をした覚えもない。祖母は私を虐侍していた。毎日毆られ、蹴られた。食事は一日に一回で茶碗一杯のご飯だけの時も良くあった。掃除、洗濯等の家事をさせられていたのは良く覚えている。
6歳の時、タヒんだと聞かされていた母が現れ、私を迎えにきた
祖母と母は取っ組み合いの喧嘩をしていた。父は傍観を決め込んでいた。ビール瓶で頭を毆られ血だらけになっても祖母と言い争っていた母は印象的で良く覚えている
結局父は親権を放棄して、以降私は母の元で育てられた。