鬼女日記 -鬼女・修羅場・キチママ系まとめ-

当ブログは主に既婚女性・男性板、 生活板、家庭板などから管理人が気になった話をまとめたサイトです。

    GJ

    110 :名無しさん@HOME 2013/05/01(水) 18:26:19.59 0.net
    トメ「80過ぎたら嫁子さんに面倒見てもらうつもりだから」
    私「何で私なんですか?無理です」
    トメ「普通はお嫁さんが親の面倒見るものなのよ!」
    私「普通って、そんな決まりありませんし。夫君からも面倒は見なくていいって言われているので」
    トメ「そんなワガママばっかり言って!もうすぐ私は80になるの!!さっさとうちに住んで私の面倒を」
    私「私も夫君も仕事があるので面倒は見れませんし、もう家買っちゃったんでそちらには住めません」

    飛行機の距離にある義実家からの電話で全部言い返したら、トメふじこりながらガチャ切りしてくれました。
    ウトは亡くなっているし、夫以外の子供達からも嫌われているトメなので誰も面倒を見に帰りはしないと思います。
    義実家からの電話はずっと面倒くさくて適当に聞き流しているだけだったのですが、
    さすがにしつこいので言い返してみました。自分的にはスカ。

    366 :名無しさん@おーぷん
    娘と一緒に電車に乗ってた時の話
    娘は片腕を骨折してたので、座らせてた
    途中席が空いたので私も隣に座った
    暫くすると小さい男の子を連れたおばさん登場
    私の娘を見ると一目散によって来て
    「お姉さん大きいから僕にお席かわって」
    は?何言ってんのこのガキ、どう見ても怪我人って解るだろ
    と内心思いつつも
    「私がかわるね」と立とうとした娘を制して私が席を譲った
    するとおばさん、娘に向かって
    「お姉さん(おばさんのこと)、この子(男の子)と一緒に座りたいから、お席交代してくれる?ずっと座ってたよね?」
    身長100センチもない片腕の娘に立てと申すのかこの鬼畜と言いそうになって堪えたと
    かなり感情を堪えてたからグヌヌヌって声が漏れたような気がしないでもない
    娘に席に座ってなさいと言った後、おばさんと睨み合い
    暫くすると、隣でスマホみてた金髪の若者が「おばさん見苦しいわ、怪我してんの解かんじゃん、年寄りで席譲って欲しいなら優先席行けよ」
    と顎でしゃくってあしらってまたスマホいじりだした
    今の若者って度胸座ってるなぁと関心した
    おばさんは男の子連れて車両移動していったけど、そこでも席たかったんだろうな
    若者にお礼を言ったけど、スマホを見て無視された
    娘も「ありがとう」と言ったら、チラッと目配せして顔を赤くしてそっぽを向いた
    今の若者はーって怒る人もいるけど、冷たく見えるだけで優しい子は多いんだろうなと思った出来事

    308 :名無しさん@HOME
    トメは、台所などで私と二人きりになると、必ず大トメ(ウト母)を
    看取るまでの苦労話をする。
    惚けが始まったときの恐怖、心労、入院させると決まった時の葛藤、
    悔いの無いように出来る事は全てやった。その分辛かった...。
    まるで一人で在宅介護したような調子で語り、最後は
    「私が倒れたらあなたが介護するんだから、よく覚えていてね。」
    と確認してくる。
    (私はその度に「はぁ」という曖昧な返事しかできなかった)
    ところが、義妹にその話をすると、ブハって吹き出して大受け。
    トメは同居の大トメさんが倒れて入院し、同時に痴呆の症状が酷くなると、
    「気持ち悪い、無理。老人ホームに入れるまで帰らない」と家出。
    ウト兄弟が急遽集合して話し合いの結果、特養に入れる事になり、
    その間の世話は、コトメとウトだけでやってたそうだ。
    トメはオムツ替えどころか、入院中の付き添いや洗濯物の回収さえ
    嫌がっていたらしい。
    おかげで、翌日トメに「あなたが私を介護するんだから〜」と言われた時、
    迷わず「はい、すぐに特養にいれれば良いんですね。」と返事できた。
    あまりに私の返事が朗らかだったせいか、トメも「そうそう」とニコニコ。
    数分後に、私の返事の意味を悟ったみたいで、5分くらい固まっていたが。
    今は、夫が義実家で、私とトメが二人きりにならないように気を配って
    くれているので、あの作り話を聞く事もなくなりました。

    575 :名無しさん@おーぷん
    小学5年くらいのころ、転校して半年ぐらいだった俺はクラスの数名に粘着されていた。
    全体的なものじゃなかったし、深刻な感じでもなかったので俺は全く気にしてなかった、と思っていた。

    ある日、ちょっと高台の上から下を眺めることに夢中になっていた俺は、その粘着組を発見し日頃の恨みを晴らそうという気で一杯になった。
    なんというか、怒りってなんかで着火すると一瞬で燃え上がるって感じだった。
    でも高台からは流石に高すぎて飛び降りると自分もただでは済みそうになかったので、そいつらの後ろの石垣みたいになっていた住宅の基礎っぽいところにまで接近。
    高さ的には2mくらいだったかと思うんだが、そこからとび蹴りしてやろうと、子供ながらにとんでもないことを考えてしまった。

    結論から言うと、とび蹴りしようとした俺は直前ですっ転び、頭から転落して停車していた車に激突してしまった。
    幸いというかなんと言うか、車が凹むほどのダメージもなかったし俺も意識がはっきりとしていたんだが、えらいことをしてしまったという気持ちが一杯になりおお泣き。
    事態が事態のため警察もすぐ来たんだが、そもそもやり返そうと思ってしまった自分が発端なので泣いて謝ることしかできなかった。

    が、全く持って話ができないレベルで大泣きして謝る俺のその態度がなんかやばかったらしく、後日学校では粘着組が俺を脅して車にダイブさせたというとんでもない噂になってしまっていた。
    というのも、それなりに友だちがいた俺が粘着組にいじめられていたのは周知の事実だったため、信憑性は充分にあると判断されてしまったようだった。
    親から嘘はイケナイと叩き込まれていた俺は、これはヤバイとまた泣いて噂の否定をしてしまい追い討ち。
    結果、粘着組は親を呼ばれて大騒ぎになってしまった。

    今思い返すと、俺のやったことは天然の復讐になるんだろうか、それとも障害未遂になるんだろうか、器物破損になるんだろうか……
    運転手さんには謝ったんだが……

    47 :名無しさん@おーぷん
    2つほど。

    小学六年生の時。
    担任や警察に嘘着いて万引きを俺に命令されてやりました。と、店の事務所で白状したやつがいる。
    中学お受験をするので内申点に傷がついてしまう!とその日たまたま一緒に帰った俺のせいにしたらしい。

    疑いは数日で晴れたものの、一度着いたイメージは拭うことが出来ずに無駄に近所やクラスの連中に白い目で見られた。

    「んのやろう!」

    と、何かしら仕返しをしてやろうと決意して、それから数ヶ月経った。万引き事件の後はわざと気にしないフリをして普通にそいつと遊んでいた。ある日、そいつと駄菓子屋でお菓子を買って公園で食べたのだが、裏で大量に爆竹を購入する。
    夜にそいつの近所、担任(近所)、同級生宅の車のタイヤに大量の爆竹を張り付けてやった。
    仕掛けたうちの特に近所で怖いと有名な家の車のそばにはそいつの名前付きの私物を落としておいた。

    もちろん現場は見ていないが朝は中々カオスな状態になったらしい。
    悪質なイタズラとして警察も動いて犯人捜しを行う。
    速攻でそいつに容疑がかけられ、
    学校で尋問。
    「その日は何してた?」
    「俺君と駄菓子屋行って公園で遊んだ。」
    「俺君、彼とその日一緒にいた?」
    「うん、○○君(万引き友)お菓子と爆竹買ってた」
    「その爆竹は後で公園で遊んだの?」
    「いえ、○○君が持って帰ってた」

    そこからはもうトントン拍子。
    学校側から駄菓子屋に確認もされたが、当時75歳以上で1日に何十人も子供が着ていた駄菓子屋のおばちゃんも爆竹を大量に売ったことは覚えているけど、誰に売ったかなんて覚えていなかった。

    あれよあれよと犯人にしたてられ、そいつはこっぴどく叱られていた。
    担任とクラスメイトの数人は気づいていたかもしれないが、18年経った今でも何も言ってこないのだから確信がなかったんだと信じたい。

    結局そいつはそれが原因かは知らないけど、受験失敗して一緒の公立中学に行きましたとさ。

    ちなみにその駄菓子屋はそいつが万引きした時の駄菓子屋。
    疑い晴れるまで俺を犯人扱いして、爆竹事件の後爆竹の販売を中止されてその後も他の子供に万引きされまくってた。

    88 :名無しさん@おーぷん
    浮気して別れた彼女との話書き捨てる
    勢いで書くから長くなったらごめんよ

    震災のあった年、同じ大学の女の子と付き合ってた
    入学直後のオリエンテーションで仲良くなって付き合うことになった
    当時二年以上付き合ってたことになる
    卒業して就職したら結婚しようか、なんて今思えば青臭いことを言い合って
    お互いの親とも仲良くやってたよ
    そんな日々にあの震災があった
    彼女はちょっと北(原発問題のあった県)の出身でちょっと実家に帰るね、と帰っていった
    すぐに彼女から被害はなくて大丈夫だったと電話があって安心した
    で、しばらく親と一緒にいるね、と言われたのであっさり納得した

    562 :名無しさん@おーぷん
    人間的に出来てないダメダメ男が超稚拙な文章で投下。
    人によっては胸糞かもしれない。

    小2くらいから姉に(忄生的)虐待されてた俺。
    俺を着せ替え人形みたいに扱って女装させたりペットのように首輪をつけたりし、その格好で外を歩かされた。女装に関しては下着まで強要された。当然俺は嫌がった。

    従わなければ従うまで殴るから、俺は毎日のように泣きながら外を徘徊したのを今でも鮮明に覚えている。でも世間体もあり泣いてたら「泣くな!笑え!」とまた暴力を振るわれる。

    表面上では仲良さそうに振る舞わされていたから「俺が姉から忄生的虐待を受けている」というより「俺に女装やペット扱いされる忄生癖があった」という噂の方が有力ですぐに周りの住民に知れ渡ったので、俺は学校でもよくいじめられた。

    姉にはいい思い出などほとんど無い。俺の自転車を取り上げて自宅から5キロ近く離れたところまで行き、その帰り道に、姉だけ自転車に乗って俺は乗せないで走らせた。俺が泣きながら追いかけても姉は無視して一人で帰ったり。
    よく殴られて泣かされたのは勿論、部屋へあがるコンクリートの通路に突き倒されたり階段から突き落とされたりと、色々と酷いことをされた。

    大抵親がいないところでされる。俺がチクったら〆てくれるときもあるけどそうしたらそうしたで後で殴られる。
    本人からしてみれば虐待とかそんな意識は無く純粋におふざけというかじゃれあいのつもりだったんだろうな。
    俺と姉は四歳違いだけど、小さかった頃は親二人とも俺を可愛がって(甘やかされていたわけではない)姉をほったらかしにしていたから、姉はそのストレスを俺で晴らしていたのかもしれない。だからと言って許すつもりはないけど。


    長くなったがここまでが前置き。

    627 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2014/08/15(金) 19:45:32.84 ID:qGw/6Iy8.net
    数年前のお盆休みに、地元の友達4人のグループから抜けた

    学生時代からの惰性で付き合いしてたけど
    「外食行こうと」連絡があったと思ったらグループの奴らが提案するのは、毎回毎回100%の確立で酒飲み放題のある店で
    俺は全く酒飲めないので当然車出すはめになり、少し遠出してもガソリン代どころか礼の一言も無し。
    飲み放題の無い別な店を提案しても絶対却下。

    それなのに誰が来る来れない何時集合みたいな管理と連絡は俺任せ。
    グループ内の奴誰かに頼もうとしても「俺そういうのやらない」「いやいや頼むわ」とかで絶対やらない
    ムカついて放置しておくと俺に電話してきて「どうなってんの?」「俺知らねぇからな」とかキレられる。
    そんなのが何度もあってうんざりしていた。

    そしてお盆前にまた飲み放題の店で集まろうと一番気に入らなかった奴から誘いがあった。
    うんざりしてたから断ったら、ノリ悪いだの、どうせ暇だろだの言って食い下がりながらキレてきたので
    「毎回毎回てめえらが酒ガブ飲みてぇだけだろ、勝手にやってろ」って言い返してそれ以来会ってない
    地元で孤立したけどスッキリした。

    趣味の合う奴とかいい奴に限ってみんな県外や遠方に住んでるのが最悪だわ。

    533 :名無しさん@おーぷん
    女というだけで下に見て暴言暴力を振るってた毒兄。
    私はさっさと外に就職させられ、給与もピンはねというか、給与の一部だけお小遣いで貰ってた状態。
    家に戻れば稼業の手伝いも無給でやらされ、家事も当然私の仕事だった。
    もちろん毒兄をそう作り上げたのは毒親ども。毒兄よりマシだったが。
    そんな状態でも思考停止で逆らえなかった私だが、男性と付き合うようになってそれはおかしいと言われ。
    彼によって洗脳が徐々に解け、毒親・毒兄に逆らうように。
    しかし、毒父毒兄が彼にいろいろと虚言を吹き込み、彼は離れていった。私は毒父毒兄の慰み者だと信じたらしい。
    さすがにそこまではされてなかったのだが、狂ったような言動の毒どもを見て彼は信じ込み、私に謝りながら去っていった。

    それから初めて復讐したいと思った。
    彼がいる当時は逃げたい、自由になりたい、自分の人生を送りたいだったのに、そんなのどうでもよくなった。
    それから友人(彼と付き合う前から逃げろと言ってくれてた)にお願いしておしゃれを覚え、ある男性と付き合うようになった。
    その男性は私に対して真剣交際というわけでもなかったが、私もそれは同じだった。
    私は毒どもに再び逆らい始め、それとなく特定されないように付き合いのことをリークした。
    連絡先は見つからないように最新の注意を払った。
    そして男性を伴って家の近くで別れることを繰り返してると、ある晩毒どもに見つかり。
    元彼と同様、ないことないこと吹き込み、私が泣いて、男性はドン引きして帰っていった。

    男性は友人の紹介で、若いけど毒どもの会社の取引先の役員だった。
    毒どもに普段から酷い目にあってることは言っていたが、さすがに毒ども自ら娘・妹を慰み者にしていたという内容はショックだったらしく。
    その後連絡があって、取引は無くなり。
    男性はお付き合いの解消と就職先・住まいの紹介を伝えてきた。
    他の取引先にも2回めの虚言の録音データと手紙を送りつけ、事実確認は男性にしてほしいと伝えてやった。

    結果、毒どもの会社は倒産して、毒親どもは所在不明。毒兄はたまたま見かけたアルバイトを今も続けているようだ。

    1588 :名無しさん@おーぷん
    衝撃といえば衝撃だったし、仕返といえば仕返ししたんですけど
    どこに書いても微妙な気がするので書捨てさせてください
    近所で露出系の不審者が出たとの話があり、そのすぐ後に下校中の小学生を見たことで
    突然ぶわーっと蘇った記憶です
    あんまり唐突に思い出したので、母に当時の事を聞いて補足してもらっています

    私が小学校高学年くらいの頃、やはり近所で不審な男がうろついている、との噂が立ち
    学校でも登下校中は気をつけるように等の注意を受けました
    正確には下半身を露出して女子児童に声をかける男だったそうで、かなり問題になったとか
    しかし私は当時かなりのぼんやりだったので、ある日の集団下校で家の近くまで行ったのに
    ランドセルを背負ったまま、ふらふら遊んでいました
    はっきり覚えているのは、地蜘蛛を巣ごと釣り上げていて背後から声をかけられたこと
    声をかけてきた男が、なにか大変な目に遭っているので助けて欲しいというような話をして
    私は何の疑問もなくほいほいと付いて行ったこと
    近くにある資材置き場のような場所で、男が「おちんちんが腫れてしまったので撫でてほしい」
    と言って下半身を見せたこと
    私は、それまで勃起している状態など見たこともなかったので信じてしまい
    なぜか以下のような行動に出てしまいました

    おちんちんが腫れている→お父さんのはいつもぶら下がっている→これは一大事だ!
    早くぶら下がっている状態に直してあげなきゃ!→男のものを掴んで力いっぱいに引き下ろす

    ここから記憶は断片的で、突然うずくまったままぴくりともしない男の姿、びっくりして
    後ろ向きにひっくり返ったもののランドセルがクッションになってすぐに起き上がれたこと
    母に怒られて石鹸で何度も手を洗ったことを覚えています
    母曰く、私は泣きながら家に飛び帰り、おじちゃんがおちんちん折れちゃったとか何とか
    言っていたそうなのですが、その辺りは思い出せません
    祖父がすぐに資材置き場へ確認に行ったものの、男の姿はなかったそうなので、おそらくは
    無事に(?)自力で立ち去れる程度のダメージだったのだと思いたいです

    以後、この事を家族の誰も話題にはしませんでしたし、これまでの人生で色々と不審者や
    痴漢などの話を聞いても思い出さなかったのですが、家族以外の誰に話せることでもないので
    吐き出させていただきました
    冷静に考えると、当時の状況は非常に危険で、よく無事に逃げられたと安堵でいっぱいですが
    同時に少しだけ、不審者の男に大変なことをしてしまったのではないかと、申し訳ないような
    思いが残っています

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